日本歴史地名大系 「生麦村」の解説 生麦村なまむぎむら 神奈川県:横浜市鶴見区生麦村[現在地名]鶴見区生麦一―五丁目・岸谷(きしや)一―四丁目、神奈川区子安通(こやすどおり)東南は海に面し、北東に流れる鶴見川の河口にあり、西は東寺尾(ひがしてらお)村、西南は東子安(ひがしこやす)村(現神奈川区)に接する。中央を東北の鶴見村から南西の海岸沿いにかけて東海道が通る。「風土記稿」は貴志(きし)村あるいは岸(きし)村と記し、徳川家康関東入国の頃、生麦村と称したという。寛永二一年(一六四四)の検地帳(横浜開港資料館蔵)には「生麦道添」の字名が散見される。元禄二年(一六八九)神奈川宿(現神奈川区)・保土(ほど)ヶ谷(や)宿(現保土ヶ谷区)の大助郷高五六六石余(「保土ヶ谷宿助郷村高道程覚書」県史九)、享保一〇年(一七二五)には神奈川宿へ五六六石を勤めた(「神奈川宿助郷帳」同書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by