田万清臣(読み)タマン キヨオミ

20世紀日本人名事典 「田万清臣」の解説

田万 清臣
タマン キヨオミ

昭和期の社会運動家,弁護士 元・衆院議員。



生年
明治25(1892)年7月8日

没年
昭和54(1979)年5月3日

出生地
香川県綾歌郡栗熊村定蓮(現・綾歌町)

学歴〔年〕
京都帝大独法科〔大正8年〕卒

経歴
大正5年友愛会に加入し、8年労学会結成に加わる。大学卒業後弁護士となり、昭和4年大阪市議になる。5年全国民衆党を結成。11年社会大衆党から衆議院選挙に当選戦後社会党に入り、党府連委員長。右派社会党を経て大阪平和を守る会会長、大阪憲法会議代表幹事など。革新府政実現にあたっては社共両党の橋渡しに尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田万清臣」の解説

田万清臣 たまん-きよおみ

1892-1979 昭和時代労働運動家,政治家
明治25年7月8日生まれ。京都帝大弁論部初代部長をつとめ,河上肇に傾倒する。卒業後弁護士となり,労働運動に参加。大阪市会議員をへて昭和11年衆議院議員(当選3回,社会党)。戦後は社会党大阪府連委員長などをつとめた。昭和54年5月22日死去。86歳。香川県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の田万清臣の言及

【全国民衆党】より

…中間派社会民主主義の無産政党。1929年9月の大阪を中心とする日本労働総同盟第3次分裂と労働組合全国同盟の結成が社会民衆党の内部対立に波及,同年12月の党大会で田万(たまん)清臣ら全国同盟派は脱退して新党結成に着手した。一方,東京で反幹部闘争を起こして同党を除名された宮崎竜介らがこれに合流,30年1月結党大会が開かれ,田万,宮崎,山内鉄吉らが中央執行委員に選ばれた。…

※「田万清臣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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