田中万逸(読み)タナカ マンイツ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「田中万逸」の解説

田中 万逸
タナカ マンイツ


肩書
衆院議員(自由党)

生年月日
明治15年9月23日

出生地
大阪府富田林市

学歴
早稲田大学中退

経歴
報知新聞記者を経て、早稲田鉱山、日進織物工業取締役、石切土地監査役となる。大正4年衆院議員に当選し、以来当選14回。逓信政務次官などを歴任戦後国務大臣、衆院副議長、日本進歩党幹事長、自由党総務、顧問、自民党顧問などをつとめた。著書に「皇居」「雲上宝典」がある。

没年月日
昭和38年12月5日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「田中万逸」の解説

田中 万逸
タナカ マンイツ

大正・昭和期の政治家 衆院議員(自由党)。



生年
明治15(1882)年9月23日

没年
昭和38(1963)年12月5日

出生地
大阪府富田林市

学歴〔年〕
早稲田大学中退

経歴
報知新聞記者を経て、早稲田鉱山、日進織物工業取締役、石切土地監査役となる。大正4年衆院議員に当選し、以来当選14回。逓信政務次官などを歴任。戦後は国務大臣、衆院副議長、日本進歩党幹事長、自由党総務、顧問、自民党顧問などを務めた。著書に「皇居」「雲上宝典」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中万逸」の解説

田中万逸 たなか-まんいつ

1882-1963 大正-昭和時代の政治家。
明治15年9月23日生まれ。「報知新聞」記者をへて大正5年衆議院議員(当選14回,自由党)。昭和21年日本進歩党幹事長,22年第1次吉田内閣の国務相をつとめた。新憲法施行後初代の衆議院副議長に就任。のち全国農地解放者同盟会長。昭和38年12月5日死去。81歳。大阪出身。早大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田中万逸」の解説

田中 万逸 (たなか まんいつ)

生年月日:1882年9月23日
大正時代;昭和時代の政治家。衆議院議員;国務大臣
1963年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android