精選版 日本国語大辞典 「報知新聞」の意味・読み・例文・類語
ほうち‐しんぶん【報知新聞】
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第二次世界大戦前は、東京の代表的一般日刊紙。戦後、スポーツ・芸能・文化専門の朝刊紙となる。1872年7月15日(明治5年6月10日=旧暦)、駅逓頭(えきていのかみ)前島密(ひそか)の意を受けて秘書の小西義敬(ぎけい)が創刊した月5回刊の『郵便報知新聞』がその前身。翌1873年6月から日刊となる。1874年旧幕臣栗本鋤雲(くりもとじょうん)が主筆として入社、以来、民権派の政論新聞として言論界をリードした。1882年大隈重信(おおくましげのぶ)が立憲改進党を結成すると、一時その機関紙となるが、1886年11月、矢野文雄社長が紙面を改革、定価を下げて営業新聞への道を歩み始めた。1894年12月26日『報知新聞』と改題、家庭新聞をうたって部数を伸ばした。1898年には初めて案内広告欄を設け、1902年(明治35)から毎週月曜日に三色刷り紙面を発行、1906年10月27日からは朝夕刊発行に初めて成功するなど新聞界をリード、明治・大正期を通じて東京屈指の有力紙となった。しかし昭和に入ると大阪系の『朝日新聞』『毎日新聞』に押され、1942年(昭和17)8月5日、戦時新聞統合で『読売新聞』に合併、『読売報知』となる。戦後1946年(昭和21)12月15日、夕刊紙として復刊したが、1950年1月、一般紙からスポーツ紙に転換、朝刊の総合レジャー紙となる。1964年3月から大阪、1973年7月から北海道で現地印刷、1979年には名古屋(中部読売新聞から『報知スポーツ』)、1998年(平成10)3月からは九州発刊で全国紙体制が完成、題号も平成に入って1990年『スポーツ報知』と変更した。販売部数は東京本社53万部(2010)で、宅配率の高さを誇っている。
[春原昭彦]
『報知新聞社編・刊『報知七十年』(1941)』▽『報知新聞社編・刊『世紀を超えて――報知新聞120年史』(1993)』
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