田中二郎(読み)タナカ ジロウ

20世紀日本人名事典 「田中二郎」の解説

田中 二郎
タナカ ジロウ

昭和期の弁護士 元・最高裁判事;東京大学名誉教授。



生年
明治39(1906)年7月14日

没年
昭和57(1982)年1月16日

出生地
兵庫県高砂市

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部政治学科〔昭和4年〕卒業

学位〔年〕
法学博士

主な受賞名〔年〕
勲一等瑞宝章〔昭和51年〕,文化功労者〔昭和55年〕

経歴
美濃部達吉博士のもと行政法を専攻。昭和6年東大助教授を経て16年教授に。終戦後戦後改革をめぐる各種の政府関係審議会に参加し、行政の民主化、地方分権化を推進した。東大法学部長を経て39年、最高裁判事となり「ハト派」として活躍したが、定年まで3年余を残して48年に退官

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中二郎」の解説

田中二郎 たなか-じろう

1906-1982 昭和時代の行政法学者,裁判官
明治39年7月14日生まれ。美濃部(みのべ)達吉のもとで母校東京帝大の助教授をつとめ,昭和16年教授。戦後は各種の政府審議会で答申案をまとめ,行政の民主化などを推進した。39年最高裁判事となり,「ハト派」裁判官といわれたが,48年任期をのこして辞任。55年文化功労者。昭和57年1月16日死去。75歳。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田中二郎」の解説

田中 二郎 (たなか じろう)

生年月日:1906年7月14日
昭和時代の行政法学者;裁判官。東京大学教授;最高裁判事
1982年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田中二郎の言及

【教育基本法】より

… 本法を発意し推進したのは,1946年5月に文部大臣に就任した田中耕太郎である。同年6月,田中文相が憲法改正議会において教育根本法の構想を明らかにしたのち,文相の意を受け,田中二郎参事が文部省のスタッフを指導して立案に当たった。同年8月設置された教育刷新委員会も,第1特別委員会を中心に審議し,11月第1回建議〈教育の理念及び教育基本法に関すること〉にみられるように,制定の基本方針を樹立した。…

※「田中二郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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