日本大百科全書(ニッポニカ) 「戦後改革」の意味・わかりやすい解説
戦後改革
せんごかいかく
第二次世界大戦後、ポツダム宣言に基づき、マッカーサーを総司令官とするアメリカ占領軍の主導によって行われた、日本を非軍事化・民主化するための政治・経済・社会全般にわたる一連の改革。
アメリカを中心とする連合国は、日本の侵略戦争とファシズムの根源を断つため、まず非軍事化を強力に進めた。軍隊の解体、軍需産業の生産停止、軍国主義者の公職追放、修身・歴史教育の禁止、国家と神道(しんとう)の分離などがそれにあたる。同時にアメリカン・デモクラシーを指導理念にしながら、占領軍中のニューディーラーを中心に諸制度の民主化が行われた。国体変革(象徴天皇制、国民主権)、戦争放棄、基本的人権の保障、地方自治の確立など画期的内容をもつ新憲法の制定、特高(特別高等警察)・内務省の解体、農地改革、財閥解体、婦人参政権の確立、家父長制的家族制度の廃止、労働者の基本的権利の保障、男女共学の単線型六三三四制の創設などである。このなかには、たとえば第一次農地改革のように、戦前・戦中の自作農創設政策との連続性をもつ改革もないわけではないが、ほとんどは日本人自らの手では実現しえなかった改革であり、占領という戦争状態の継続下で初めて行われえたといわざるをえない。農地改革ですら第一次の不徹底さのため、占領軍による第二次改革が必要であった。こうした圧倒的な占領軍による主導性のゆえに、途中でアメリカの対日占領政策が転換すると、独占禁止法の緩和、公務員のスト権禁止、地方自治の縮小、教育委員公選制の廃止、警察予備隊の創設など、初期の改革で後退を余儀なくされていったものも多い。また本土の民主化の陰で、沖縄は、米軍政下まったく無権利状態に置かれ続けていた。
このように「与えられた民主主義」としての弱点はもっていたものの、政府の側からの、新憲法で保障された諸権利の侵害に対し、とりわけ1950年代以降、護憲という形でのさまざまな運動を繰り広げるなかで、国民はしだいに民主主義を自らのものとしていったのである。なし崩し的に進められる再軍備にもかかわらず相対的にみて低い軍事費の割合、農地改革・家族制度改革による労働力の自由な移動、教育の民主化による高等教育の大衆化と技術革新の進展、労働基本権の保障による生産性の向上と国内市場拡大など、60年代の経済大国化の基盤は、この戦後改革にあるといえよう。
[宮﨑 章]
『東京大学社会科学研究所編『戦後改革』全八巻(1974~75・東京大学出版会)』▽『神田文人著『昭和の歴史8 占領と民主主義』(1983・小学館)』