田中将大(読み)たなかまさひろ

知恵蔵 「田中将大」の解説

田中将大

日本のプロ野球選手。投手、右投右打。1988年11月1日、兵庫県生まれ。身長188cm、体重93kg(2013年9月現在、球団公表)。東北楽天ゴールデンイーグルスに所属。背番号18。マネジメント事務所はホリプロに所属。妻はタレントの里田まい。
伊丹市立昆陽里小学校1年生の時、少年野球チーム「昆陽里タイガース」に入り野球を始めた。当時のポジション捕手で、投手だったチームメイトの坂本勇人(現・読売巨人ジャイアンツ)とバッテリーを組んでいた。伊丹市立松崎中学校時代は、ボーイズリーグの「宝塚ボーイズ」に所属して、投手兼捕手としてプレー。3年時には、関西南選抜にも選ばれている。
その後、駒澤大学附属苫小牧高等学校に入学し、最高時速150キロの速球スライダーを武器に活躍。2年時の夏の甲子園では、主力投手として57年ぶり史上6校目の大会2連覇に貢献した。また、3年時の夏の甲子園では、決勝で早稲田実業学校高等部の斎藤佑樹投手(現・北海道日本ハムファイターズ)と対戦し、延長15回の末、1対1の引き分け。翌日、37年ぶりとなった決勝再試合に敗れ、準優勝で甲子園を終えた。
2006年9月のドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズ、オリックス・バファローズ横浜ベイスターズ(当時)、東北楽天ゴールデンイーグルスから1位指名を受け、抽選の結果、楽天が交渉権を獲得し、入団契約に至る。条件はいずれも推定で契約金1億円+出来高、年俸1500万円。
プロ入り1年目の07年から先発ローテーションに入り、この年11勝7敗でパ・リーグ新人王を獲得。08年、北京オリンピック日本代表。09年、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表に最年少で選ばれる。11年はシーズン19勝をあげ、防御率も2リーグ制以降ではプロ野球歴代5位、パ・リーグ歴代2位となる1.27を記録。この年、ベストナイン、最優秀防御率投手、最優秀投手、最多勝利投手、沢村賞ゴールデングラブ賞など多くのタイトルを獲得した。
12年は10勝にとどまったが、防御率は2年連続の1点台を記録。13年は、42イニング連続無失点をマークするなど開幕から好調を持続し、開幕連勝日本記録(従来は斉藤和巳らの15、大リーグでも19が最高)を24に更新。また連勝日本記録(従来は稲尾和久らの20)も28に更新し、月間MVPを5カ月連続受賞。通算12回の受賞は、イチローを抜いて単独トップ。この年は、ベストナイン、最優秀防御率投手など数多くのタイトルを獲得し、自身初となるMVPにも選ばれた。
14年には、新ポスティングシステムを利用して米国メジャーリーグ移籍を希望し、ニューヨーク・ヤンキースとの契約に合意。7年契約で、年俸総額は1億5500万ドル(約161億円)となる。

(葛西奈津子  フリーランスライター / 2013年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中将大」の解説

田中将大 たなか-まさひろ

1988- 平成時代のプロ野球選手。
昭和63年11月1日生まれ。投手。右投げ,右打ち。中学生時代は「宝塚ボーイズ」に所属。平成17年駒大苫小牧高2年夏の甲子園は主戦投手として優勝に貢献。翌年も決勝にすすみ,早稲田実業の斎藤佑樹と投げ合って敗れ,チームは準優勝となる。19年東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。同年ソフトバンク戦で初勝利,年間11勝をあげて新人王を獲得した。同年オールスターゲームにも出場。21年WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表に選ばれた。23年最多勝利,最優秀防御率をあげて最優秀投手,沢村栄治賞に選ばれる。25年9月13日のオリックス戦で,稲尾和久の記録を更新するシーズン21連勝の日本プロ野球新記録を達成し,シーズン無敗で24連勝まで記録をのばした(前年からのリーグ連勝記録は28)。同年最多勝(24),最優秀防御率(1.27),勝率第1位(1.000)となり,沢村栄治賞,正力松太郎賞特別賞,パ・リーグ最優秀選手(MVP)。26年ニューヨーク・ヤンキースに移籍。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android