稲尾和久(読み)イナオカズヒサ

デジタル大辞泉 「稲尾和久」の意味・読み・例文・類語

いなお‐かずひさ〔いなを‐〕【稲尾和久】

[1937~2007]プロ野球選手・監督大分の生まれ。昭和31年(1956)西鉄西武前身)に入団投手として活躍し、1年目から21勝をあげて新人王となる。同33年巨人との日本シリーズで、3連敗後の4試合すべてに登板チーム勝利へ導き「神様仏様、稲尾様」と称えられる。同36年プロ野球記録の42勝を記録。通算276勝。引退後は西鉄・太平洋クラブロッテの監督を務めた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「稲尾和久」の意味・わかりやすい解説

稲尾和久
いなおかずひさ
(1937―2007)

プロ野球選手(投手:右打右投)、監督。6月10日、大分県生まれ。別府緑丘高(現、芸術緑丘(みどりがおか)高)から1956年(昭和31)に西鉄ライオンズ(現、埼玉西武ライオンズ)へ入団、1年目から21勝をあげる活躍で最優秀防御率のタイトルを手にし、新人王に選ばれた。抜群の制球力で切れ味鋭いスライダーを操って、打者手玉に取り、2年目の1957年は最多勝利と最優秀防御率の二冠で最高殊勲選手(現、最優秀選手)に輝いた。翌1958年は最多奪三振も加えた投手三冠王となり、2年連続最高殊勲選手受賞。同年西鉄はリーグ優勝し、日本シリーズで巨人と対戦したが、3連敗したところからひとりで4連勝するという奇跡的な活躍を演じ、「神様、仏様、稲尾様」と称えられた。1961年にはプロ野球記録となる年間78試合の登板で、1939年のスタルヒンに並ぶ42勝の年間最多勝利をマーク、2回目の投手三冠王にも輝いた。1963年に最多勝利と最多奪三振の二冠を獲得。1966年の最優秀防御率が最後のタイトルとなり、1969年で引退。実働14年の短い期間で、歴代8位の通算276勝をあげ、また通算防御率1.98は歴代3位である。1970年から1972年まで西鉄、1973年、1974年は太平洋クラブライオンズ(西鉄が球団譲渡)の監督を務め、さらに1984年から1986年までロッテオリオンズ(現、千葉ロッテマリーンズ)の監督を務めた。

[出村義和 2016年9月16日]

 選手としての14年間の通算成績は、登板試合756、投球回3599、276勝137敗、防御率1.98、奪三振2574、完投179、完封43。獲得したおもなタイトルは、新人王、最多勝利4回、最高勝率2回、最優秀防御率5回、最多奪三振3回、最高殊勲選手(現、最優秀選手)2回、ベストナイン5回。監督としての通算成績(8年)は、1040試合、431勝545敗64分け、勝率4割4分2厘。1993年(平成5)に野球殿堂(野球殿堂博物館)入り。

[編集部 2016年9月16日]

『稲尾和久著『神様、仏様、稲尾様――私の履歴書』(2002・日本経済新聞社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「稲尾和久」の意味・わかりやすい解説

稲尾和久【いなおかずひさ】

プロ野球選手。投手。大分県出身。大分県立別府緑丘(みどりがおか)高校を卒業後,パシフィック・リーグの西鉄ライオンズに入団。エースとして活躍し,1969年現役引退。爪先(つまさき)で立つような投球フォームは,漁師の父の手伝いをして小舟の櫓(ろ)を漕ぐことから体得したといわれる。1970年に西鉄ライオンズの監督となる。1984年からはロッテオリオンズの監督も務めた。新人王,防御率1位,最多勝,最高殊勲選手賞などを獲得し,通算で276勝137敗,防御率1.98。西鉄ライオンズの黄金時代を築き,1シーズンで1957年に20連勝,1961年には42勝の記録を達成し,〈鉄腕〉と呼ばれた。1958年の日本シリーズでは,読売ジャイアンツを相手にチームの3連敗後に連続4試合登板,4勝して逆転優勝をもたらし,〈神様,仏様,稲尾様〉といわれた。1993年野球殿堂(でんどう)入り。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「稲尾和久」の意味・わかりやすい解説

稲尾和久
いなおかずひさ

[生]1937.6.10. 大分,別府
[没]2007.11.13. 福岡,福岡
プロ野球選手。 1956年高校卒業と同時に西鉄ライオンズに投手として入団,21勝をあげて新人王。三原脩指揮のもと,打撃陣の中西太,大下弘,豊田泰光らと並び投手陣の柱として西鉄黄金時代を築く。 1958年の読売ジャイアンツ (巨人) との日本シリーズにおいては,3連敗後の4連投でチームを4連勝に導き,「神様,仏様,稲尾様」と称賛された。 30勝以上を4回記録。 1969年引退。通算 756試合,276勝 137敗。防御率 1.98。現役引退後,西鉄,太平洋クラブ・ライオンズ,ロッテ・オリオンズの監督を務めた。 1993年野球殿堂入りを果たした。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲尾和久」の解説

稲尾和久 いなお-かずひさ

1937-2007 昭和時代後期のプロ野球選手,監督。
昭和12年6月10日生まれ。昭和31年西鉄に入団し,21勝で新人王。剛腕のエースとして,中西太らと西鉄の黄金時代をきずく。32年から3年連続30勝以上,36年は42勝。33年巨人相手の日本シリーズで3連敗のあと4連投,逆転優勝につくし「神様,仏様,稲尾様」とよばれた。実働14年,通算276勝137敗,防御率1.98。西鉄(のち太平洋),ロッテ監督をつとめた。平成5年野球殿堂入り。平成19年11月13日死去。70歳。大分県出身。別府緑丘高(現芸術緑丘高)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「稲尾和久」の解説

稲尾 和久 (いなお かずひさ)

生年月日:1937年6月10日
昭和時代;平成時代の野球評論家;元・プロ野球監督

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android