プロ野球選手(投手:右打右投)、監督。6月10日、大分県生まれ。別府緑丘高(現、芸術緑丘(みどりがおか)高)から1956年(昭和31)に西鉄ライオンズ(現、埼玉西武ライオンズ)へ入団、1年目から21勝をあげる活躍で最優秀防御率のタイトルを手にし、新人王に選ばれた。抜群の制球力で切れ味鋭いスライダーを操って、打者を手玉に取り、2年目の1957年は最多勝利と最優秀防御率の二冠で最高殊勲選手(現、最優秀選手)に輝いた。翌1958年は最多奪三振も加えた投手三冠王となり、2年連続最高殊勲選手受賞。同年西鉄はリーグ優勝し、日本シリーズで巨人と対戦したが、3連敗したところからひとりで4連勝するという奇跡的な活躍を演じ、「神様、仏様、稲尾様」と称えられた。1961年にはプロ野球記録となる年間78試合の登板で、1939年のスタルヒンに並ぶ42勝の年間最多勝利をマーク、2回目の投手三冠王にも輝いた。1963年に最多勝利と最多奪三振の二冠を獲得。1966年の最優秀防御率が最後のタイトルとなり、1969年で引退。実働14年の短い期間で、歴代8位の通算276勝をあげ、また通算防御率1.98は歴代3位である。1970年から1972年まで西鉄、1973年、1974年は太平洋クラブライオンズ(西鉄が球団譲渡)の監督を務め、さらに1984年から1986年までロッテオリオンズ(現、千葉ロッテマリーンズ)の監督を務めた。
[出村義和 2016年9月16日]
選手としての14年間の通算成績は、登板試合756、投球回3599、276勝137敗、防御率1.98、奪三振2574、完投179、完封43。獲得したおもなタイトルは、新人王、最多勝利4回、最高勝率2回、最優秀防御率5回、最多奪三振3回、最高殊勲選手(現、最優秀選手)2回、ベストナイン5回。監督としての通算成績(8年)は、1040試合、431勝545敗64分け、勝率4割4分2厘。1993年(平成5)に野球殿堂(野球殿堂博物館)入り。
[編集部 2016年9月16日]
『稲尾和久著『神様、仏様、稲尾様――私の履歴書』(2002・日本経済新聞社)』
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