田名渡
たなのわたし
相模川にかかる大山道をつなぎ、田名と津久井・愛甲両郡とを結ぶ渡し。天正一六年(一五八八)九月一四日の北条家朱印状(県史三)で氏政使用の材木の輸送を命じられたなかにみえる田名の筏士が渡場の前身を形成したものと思われる。
文政九年(一八二六)の村絵図(相模原市史五)によれば、田名村には相模川渡船場として滝―葉山島村(現津久井郡城山町)、久所―角田村小沢(現愛甲郡愛川町)、望地―熊坂村六ッ倉(現愛川町)の三ヵ所あった。望地渡が古くからあったが、江戸中期以降武州・甲州からの大山参詣が盛んとなり、大山道筋の久所渡が利用されるようになった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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