田土部村
たとべむら
[現在地名]新治村田土部
桜川左岸にあり、東は高岡村。古代は「和名抄」記載の栗原郷に属したとされ、天平宝字七年(七六三)一〇月に栗原郷から貢献された調布(正倉院宝物)の墨書銘に「常陸国筑波郡栗原郷戸主多治比部小□戸多比部家主輸調」とある戸主多治比部は田土部の住人といわれる。また小里戸(折戸)の地名は明治期(一八六八―一九一二)まで村内の字名として残っていた(新治村の文化財)。中世は南野庄に属したとされ、「新編常陸国誌」に「中世ノ紀氏信太ノ一族此地ニ居リ田土部氏トナル」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 