朝日日本歴史人物事典 「田村建顕」の解説
田村建顕
生年:明暦2.5.8(1656.6.30)
江戸中期の一関藩(岩手県)初代藩主。名は宗永,通称は千勝,内膳,修理。宗良の次男。仙台生まれ。母は仙台藩士山口重如の娘。寛文10(1670)年右京大夫となり,延宝6(1678)年名取郡岩沼3万石を継ぐ。天和1(1681)年磐井郡一関3万石へ知行替となり翌年入部。元禄4(1691)年譜代格,翌年奏者番となり建顕と改名。6年城主格。14年江戸城内で刃傷事件を起こした浅野長矩を預けられる(長矩は田村の江戸邸で切腹)。宝永2(1705)年因幡守となる。江戸芝高輪の東禅寺に埋葬。<参考文献>『一関市史』6巻
(細井計)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報