朝日日本歴史人物事典 「田結荘千里」の解説
田結荘千里
生年:文化11(1814)
幕末の洋式兵学者,蘭学者。大坂生まれ。諱は邦光,通称を斎治,千里は号。天保8(1837)年大塩平八郎の乱に連座して獄につながれた。許されたのち西洋画を学ぶため長崎に赴いたが,たまたま堂々たるオランダ船が港に入るのを見て,男子たるもの絵筆をとるべき期にあらずと筆を投げ捨て,品川藤兵衛に就いて蘭学を学び,次いで熊本に池部啓太を訪ねて洋式兵学を修得した。嘉永1(1848)年大坂に帰って洋式砲術を教える。啓太から伝えられた『万動理原・打着表』に『弾丸装薬二表用法』を合わせて『桑土蒭言』を刊行。
(所荘吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報