田貫村(読み)たぬきむら

日本歴史地名大系 「田貫村」の解説

田貫村
たぬきむら

[現在地名]西尾市田貫町

市の西北にあり、矢作川南岸に開けた集落よりなる。もとこの辺りまで入海であったらしく「三河国二葉松」に「田貫 磯」とある。慶長一〇年(一六〇五)の矢作川の改修によって地形が変わり、対岸伏見屋ふしみや・伏見屋外新田(現碧南市)が開発されるに及んで矢作川沿いの村となる。近世の支配は西尾藩領。慶長九年の村高一八三石二斗余。元文元年(一七三六)蒲原がまはら新田三五石七斗五升、真弓まゆみ新田一四石六斗八升三合。

田貫村
たぬきむら

[現在地名]京北町大字田貫

弓削ゆげ一一ヵ村の一。大堰おおい川の支流田原たわら川の上流にある山間集落。川の上流(東)赤石あけし村、下流(西)佐々江ささえ(現船井郡日吉町)北西室谷しつたん村。集落の北山麓に田貫古墳がある。

慶長七年(一六〇二)幕府領、寛文四年(一六六四)より園部藩領となる。元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳によると高二三二石余。旧高旧領取調帳によれば三一五・八七二石。生業は農林業でとくに林業を主とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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