平坂(読み)へいさか

改訂新版 世界大百科事典 「平坂」の意味・わかりやすい解説

平坂 (へいさか)

三河国(愛知県)矢作(やはぎ)川河口に位置する近世の港。西尾藩の外港であり,元禄年中(1688-1704)より市川外山新美の3問屋があり,陸上積荷の人夫はつねに100人余,1745年(延享2)江戸廻船8艘が所属し,伊勢湾の諸港を往復する中型の船もあり,三河木綿積出しの拠点として栄えた。矢作川の川舟は,平坂から干鰯(ほしか),〆粕(しめかす),魚油,大豆などを積んで上り,上流から木炭,割木,竹などを積んで下った。原料,製品の輸送に便なところから,鋳物業や瓦業が盛んとなり現在も続いている。1871年(明治4)西尾藩は平坂に廻漕会社を設立,大蔵省から蒸気船武蔵丸の払下げを受け,平坂~東京間に定期航路を開いて利益を上げたが,武蔵丸の火災により会社は解散した。維新後,廻漕問屋や船主は,熊野通いに転換した。1882年の出入船300艘を数える。1953年平坂町は西尾市に編入された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平坂」の意味・わかりやすい解説

平坂
へいさか

愛知県中南部、西尾市の一地区。旧平坂町。江戸時代、矢作(やはぎ)川舟運の結節点、三河五箇所湊(みなと)(大浜、鷲塚(わしづか)、平坂、犬飼、御馬(おんま))の筆頭、西尾藩の外港として栄えた。鋳物業の歴史は古く、江戸時代から今日まで存続しているが、現在は各種機械の部品をつくっている。近くの中畑(なかはた)は船紡績(ガラ紡)の中心だったが矢作川改修とともに姿を消した。

[伊藤郷平]

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世界大百科事典(旧版)内の平坂の言及

【西尾[市]】より

…江戸時代は西尾藩の城下として栄え,岡崎,吉田(現,豊橋市)とともに三河三都と称された。当時の中心街の本町には問屋が軒を並べ,平坂(へいさか)は矢作川水運の拠点として繁栄した。明治時代以降,東海道本線からははずれたが,名鉄西尾線・三河線の開通とともに近代都市としての発展基盤がつくられた。…

※「平坂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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