デジタル大辞泉 「田辺宗英」の意味・読み・例文・類語 たなべ‐むねひで【田辺宗英】 [1881~1957]実業家。山梨の生まれ。後楽園スタヂアム(現在の東京ドーム)の創立に尽力し、昭和17年(1942)社長に就任。同27年には日本プロボクシングの初代コミッショナーとなる。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「田辺宗英」の解説 田辺 宗英タナベ ムネヒデ 大正・昭和期の実業家 後楽園スタジアム社長。 生年明治14(1881)年12月17日 没年昭和32(1957)年3月18日 出生地山梨県 学歴〔年〕早稲田大学中退 経歴明治44年東京電燈に入社。その後商事会社などの経営にたずさわり、昭和11年創立の後楽園スタジアム専務に就任。17年社長となり、スポーツ、娯楽の殿堂を築いた。また、初代日本ボクシングコミッショナーにもなった。43年野球殿堂入り。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田辺宗英」の解説 田辺宗英 たなべ-むねひで 1881-1957 大正-昭和時代の実業家。明治14年12月17日生まれ。田辺七六の弟。東京電灯をへて,昭和11年異母兄の小林一三のすすめで後楽園スタヂアム(現東京ドーム)創立にくわわり,17年社長となる。27年初代日本ボクシングコミッショナー。昭和32年3月18日死去。75歳。山梨県出身。早大中退。前名は五四三。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by