田邑庄(読み)たのむらのしよう

日本歴史地名大系 「田邑庄」の解説

田邑庄
たのむらのしよう

和名抄苫西とまにし郡田邑郷の郷名を継ぐか。上田邑・下田邑を遺称地とし、一帯に比定される。成立時期などは不明。建武二年(一三三五)後醍醐天皇は足利尊氏の地頭職を没収し、祈祷料所として紀伊熊野新宮(速玉社)寄進(同年一二月一八日「後醍醐天皇綸旨」熊野速玉大社文書)。公文職は二宮氏が相伝し、延文元年(一三五六)頃には広戸美作守が濫妨(同年六月八日「細川満氏奉書案」天理図書館蔵)、同五年七月一〇日には公文職半分が二宮光家に打渡されている(「某遠元打渡状案」同館蔵)。延徳三年(一四九一)一〇月一三日の室町幕府奉行人連署奉書(法金剛院文書)によると、領家職四分一を京都法金剛ほうこんごう(現右京区)の開山塔法命院が所持し、守護押妨が続いていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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