田部文一郎(読み)タナベ ブンイチロウ

20世紀日本人名事典 「田部文一郎」の解説

田部 文一郎
タナベ ブンイチロウ

昭和期の実業家 元・三菱商事社長。



生年
明治40(1907)年9月5日

没年
平成14(2002)年2月7日

出身地
広島県広島市

学歴〔年〕
東京商科大学(現・一橋大学)〔昭和5年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和46年〕,勲一等瑞宝章〔昭和57年〕

経歴
昭和5年三菱商事に入社。台湾の高雄支店やニューヨーク支店などの海外勤務も経験しながら主に機械畑を歩んだ。21年機械部建設課長、22年新日本通商専務、27年東西交易常務を経て、29年大合同後の三菱商事機械第二部長に転じる。32年米国三菱社長、35年本社取締役、37年常務、44年専務、46年副社長を経て、49年社長に就任。高度成長時代の土地投機や事業拡大の後始末辣腕を振るい、在任中に約2000億円の不良債権償却、整理した。55年会長、61年相談役、平成10年特別顧問に退いた。一方、昭和56年東京商工会議所副会頭。他に三菱グループ企業役員、三菱財団、如水会各理事長、経団連、日経連各常任理事などの要職を多数兼務。59年に発表した自著「幾山河」はベストセラーになった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田部文一郎」の解説

田部文一郎 たなべ-ぶんいちろう

1907-2002 昭和時代後期の経営者
明治40年9月5日生まれ。昭和5年三菱商事に入社。日米開戦時ニューヨーク勤務のため抑留され,17年交換船で帰国財閥解体のあと,新日本通商専務,東西交易常務をへて,29年の大合同で三菱商事機械第二部長。米国三菱商事社長をへて,49年社長,55年会長。東京商工会議所副会頭,経団連常任理事などをつとめた。平成14年2月7日死去。94歳。広島県出身。東京商大(現一橋大)卒。著作に「幾山河」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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