田野上村(読み)たのうえむら

日本歴史地名大系 「田野上村」の解説

田野上村
たのうえむら

[現在地名]名立町田野上

名立川左岸にあり、北は躰畑(たいばたけ)村、南は丸田(まるだ)村、対岸は杉(すぎ)ノ瀬(せ)村。正保国絵図に田ノ上村として高七七石余とある。延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では田之上村。天和三年郷帳では高七七石八斗余とある。村の創立は永禄(一五五八―七〇)頃で、永井太郎右衛門家を草分とするという。同家四代太郎右衛門は正徳元年(一七一一)に名立谷の公領私領詰庄屋の役についた(郷土名立)。当地は糸魚川藩有馬氏領であったが、有馬氏は越前丸岡(まるおか)(現福井県坂井郡丸岡町)に転じ、その後は幕府直轄地となる。宝永七年(一七一〇)松平定重が高田(たかだ)城(現上越市)城主になったとき、名立谷総高二千三七〇余石のうち六九四石余は定重の所領にされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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