由並本尊城跡(読み)ゆなみほぞんじようあと

日本歴史地名大系 「由並本尊城跡」の解説

由並本尊城跡
ゆなみほぞんじようあと

[現在地名]双海町上灘

上灘かみなだ川の河口右岸にそびえる本尊ほぞん(一八〇メートル)の山頂近くにあって、現在わずかに石垣の跡を残す。合田氏の築城と伝え、南北朝の頃から河野氏の西の拠点として重きをなしていた。「予陽河野家譜」に、

<資料は省略されています>

とあるのが初見。合田弥四郎の由並本尊城は建武三年(一三三六)に大祝安親に陥れられ、のち河野氏の手に帰したものと思われる。延文五年(一三六〇)将軍足利義詮が河野通盛に宛てた御教書(予章記)に、

<資料は省略されています>

ここに宮方討伐に軍功のあった壱岐彦六は通盛の次男通遠の子通行のことで、「前対州(通盛)禅室二男通遠彦六郎壱岐守由並本尊城主」とあるように、河野通遠・通行父子はともに由並本尊城主(予陽河野家譜)であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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