由布院(読み)ゆふいん

日本歴史地名大系 「由布院」の解説

由布院
ゆふいん

古代の速見郡柚富ゆふ(豊後国風土記)、由布郷(和名抄)系譜を引く中世の所領単位で、由布院のほか由布庄・由布郷・由布など様々な呼び方がある。由布院とみえるのは文治二年(一一八六)四月一三日の後白河院庁下文案(益永家記録)であるが、これも由布庄の「庄」を「院」と書直しており、本来「由布院」と書いていたかどうかは不明である。文治年間に原図が作成された宇佐宮仮殿地判指図(宇佐神宮蔵)には由布院(二件)・由布庄(三件)が混在し、置路甃六八丈五尺のうち若宮鳥井内二丈などの一国平均役を負担している。建久八年(一一九七)のものと思われる豊後国図田帳宇佐宮弥勒寺領抜書案(到津文書)では「由布郷六十余丁 弥勒寺領 預所同 地頭」とあり、宇佐宮神宮寺弥勒寺の本家となった山城石清水いわしみず八幡宮側の文書でも「由布」とのみ記され、「院」の文字はつけられていない(元応元年八月日「弥勒寺権別当方祗候人数等定書」石清水文書など)。豊後国弘安図田帳には「由布院六拾町 戸次太郎時頼法名道恵 三郎重親相続」とある。

保安三年(一一二二)一一月一九日の清原通次処分状案(大友文書)によれば、玖珠くす保足ほあし(帆足)(現玖珠町)の東境が「由布」であり、庄園としての由布院の成立は一二世紀以前にさかのぼると考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報