知恵蔵 「由紀さおり」の解説
由紀さおり
1969年には由紀さおりと改名して「夜明けのスキャット」でデビューし、同年12月の第20回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。70年には「手紙」で、第12回日本レコード大賞歌唱賞、73年には「恋文」で第15回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞するなど、ヒット曲を数多く出す。
「由紀さおり」としては歌謡曲を中心に活動してきたが、85年からは姉の安田祥子と共に童謡歌手として活動を始める。童謡アルバム「あの時、この歌」の発売や、童謡コンサートを開催。姉妹の童謡コンサートは以後25年にわたって各地で開催された。また、アルバム「あの時、この歌」は、86年の第28回日本レコード大賞企画賞受賞など、多くの賞を獲得した他、99年には「あの時この歌」「歌・うた・唄」シリーズが児童福祉文化賞推薦作品に選ばれるなど社会的な評価が高い。また、美しい日本の童謡を次代に伝え普及に努めた姉妹の活動に対して、94年に第42回菊池寛賞(日本文学振興会)が授与されている。更に姉妹には99年に平成11年度児童福祉文化賞も授与された。
由紀さおりは歌手として活動する一方で女優としても活躍し、83年に映画「家族ゲーム」に出演し83年度毎日映画コンクール助演女優賞を受賞。その後も角川映画「早春物語」に出演するなど映画、テレビで精力的に活動を続ける。
2009年にはデビュー40周年を迎え、記念のコンサート開催やアルバムを発表。また、11年にアメリカのジャズ・オーケストラ「ピンク・マルティーニ」と共演したアルバム「1969」を世界22カ国でリリースし、1週間で3147枚を売り上げるヒットとなった。この作品は、由紀さおりが歌手デビューした1969年に日本国内や海外で話題を集めた楽曲をカバーしたもの。主な作品には、自身のヒット曲「夜明けのスキャット」を始め、いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」や黛ジュンの「夕月」、ヒデとロザンナの「真夜中のボサ・ノバ」など全12曲を収録している。1曲以外は全て日本語によるものだが、それにもかかわらず、2011年11月アメリカのiTunesジャズ・チャートで1位を獲得した他、アメリカ・ビルボードのジャズ・アルバムチャートで初登場5位、カナダのiTunesワールドミュージックチャートで1位、ギリシャのIFPI総合アルバムチャートで4位を獲得するなど、世界各国で販売実績を上げ話題になった。更にアメリカ・ビルボードが選定する世界的な活躍が認められたアーティストに贈られる「Billboad JAPAN US Billbord Publisher’s Award 2011」で米国ビルボード特別賞を受賞し、世界でも高く評価されている。11年10月にイギリスのロイヤル・アルバート・ホールでコンサートを開催し、7千人の観客の前で熱唱、その後も全米4カ所(全6公演)でピンク・マルティーニとのツアーを行った。日本では12年6月に国内3会場で由紀さおりとピンク・マルティーニのコンサートが開催される予定だが、チケットが発売初日に完売。また12年5月には、由紀さおりのLPレコードのうち8タイトルの復刻版がCD化される。
(金廻すみ子 ライター / 2012年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報