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1948年(昭和23)3月15日、日本自由党と民主クラブ(旧民主党幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)派)が合同して結成した保守政党。片山・芦田(あしだ)両内閣の野党であった日本自由党が次期政権工作のため進めた保守合同であり、結党時は153名で衆議院第一党を確保、総裁は吉田茂。1948年10月芦田内閣総辞職後は第二次吉田内閣を、ついで1949年1月総選挙で264名の絶対多数を確保して第三次吉田内閣を成立させた。またこの選挙で増田甲子七(かねしち)、池田勇人(はやと)、佐藤栄作ら官僚出身者を多数当選させて閣僚に起用し、官僚派を中軸とする戦後保守支配体制の基礎を固めた。1950年3月民主党連立派と保守合同、自由党となった。
[吉田健二]
第2次大戦後の政党。1948年(昭和23)3月,民主党・社会党の連立による芦田均内閣が成立すると,日本自由党の吉田茂は民主党幣原派との接近をはかった。同月日本自由党に民主クラブと無所属の一部が合流して結成。同年10月総裁吉田茂を首班とする第2次吉田内閣が発足。49年1月の総選挙では戦後はじめて衆議院の過半数を占める政党となり,第3次吉田内閣の基盤となった。吉田は保守勢力の大同団結をよびかけ,50年3月に民主党連立派と合同して自由党へと改組した。
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…占領体制下の多党化状況の中で第1次から第5次までを数えた吉田茂内閣が成立。これらの吉田内閣を支えたのが自由党であり,党名は日本自由党,1948年3月に民主自由党(民自党),50年3月に自由党へと変遷した。 1945年11月9日,鳩山一郎を総裁とし,幹事長を河野一郎とする日本自由党が結党された。…
※「民主自由党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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