マルティーニ(読み)まるてぃーに(英語表記)Simone Martini

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マルティーニ」の意味・わかりやすい解説

マルティーニ(Simone Martini)
まるてぃーに
Simone Martini
(1284ころ―1344)

イタリアの画家。シエナ生まれ。シエナ派画家の代表的な存在であるが、修業期の経歴はほとんど不明である。しかしシエナ派の始祖ドゥッチョに師事したことは確実視され、14世紀前半にイタリア各地に伝播(でんぱ)したビザンティン様式を克服しながら、一方ではアルプス以北のゴシック様式を積極的に取り入れて独特の線描法、彩色法を駆使し、情緒にあふれる画風を確立した。1315年に制作した『マエスタ』(シエナ市庁舎)は彼の最初期の作品である。17年にはナポリ王ロベルト・ダンジューに招かれて『戴冠(たいかん)図』(ナポリ、カーポディモンテ美術館)を制作した。28年の制作時が銘記されている『グイドリッチオ・ダ・フォリアーノ将軍騎馬像』(シエナ市庁舎)は騎馬を主題とした現存絵画では最古の事例で、彼の写実的力量がよく示されている。アッシジのサン・フランチェスコ聖堂にある聖マルティヌス伝や聖女キアーラの肖像も彼の手になるものとみなされているが、33年に義弟リッポ・メンミLippo Memmiの協力を得て完成した祭壇画『受胎告知』(ウフィツィ美術館)は彼の画風が典型的に示された代表作である。39年までにアビニョンに赴き、シエナの画風と北ヨーロッパ・ゴシック様式の媒介者として活躍し、国際ゴシック様式の形成に重要な役割を果たし、同地で没した。

[濱谷勝也]



マルティーニ(Ferdinando Martini)
まるてぃーに
Ferdinando Martini
(1841―1928)

イタリアの劇作家小説家政治家。初めは軽妙な喜劇『男は申し込み女は待ち構える』(1862)など発表。ついで『ファンフッラ・デッラ・ドメーニカ』(1879)、『子供新聞』(1880)を創刊し、コッローディの『ピノッキオの冒険』を世に送り出した。小説『侯爵夫人』(1877)などを書く一方、左派自由主義の政治家として文部大臣、植民大臣など歴任。日記、回想記にも興味深いものがある。

河島英昭

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マルティーニ」の意味・わかりやすい解説

マルティーニ
Martini, Simone

[生]1285頃.シエナ
[没]1344.7. アビニョン
イタリア,シエナ派の代表的画家。初期の活動は不明であるが,同派の創始者ドゥッチオに学んだと思われ,ビザンチン美術の伝統にフランス・ゴシック様式を取入れ,流麗な描線と魅惑的な色彩を駆使して情緒的で物語性に富むシエナ派の画風を確立した。 1340年頃,教皇の詔命でフランスのアビニョンにおもむき,同地のゴシック的伝統にシエナ派の甘美な画風を交流させ,独特のアビニョン画派を形成,国際ゴシック様式の流行の端を開いた。同地では詩人ペトラルカと親交を結び,その画業を高く評価される一方,彼もウェルギリウス本扉絵 (ミラノ,アンブロジアーナ図書館) を残している。作品『マエスタ』 (1315,シエナ,パラッツォ・プブリコ) ,『ロベール・ダンジューの戴冠図』 (17,ナポリ国立美術館) ,『聖マルティーノ伝』 (アッシジ,サン・フランチェスコ聖堂) ,『グイドリッチオ・ダ・フォリアーノの騎馬像』 (28,シエナ,パラッツォ・プブリコ) ,『聖告』 (33,ウフィツィ美術館) 。

マルティーニ
Martini, Giovanni Battista

[生]1706.4.24. ボローニャ
[没]1784.10.4. ボローニャ
イタリアの作曲家,音楽理論家。パドレ・マルティーニとも呼ばれた。 1725年にボローニャのフランチェスコ聖堂の楽長となり,かたわら音楽史,音楽理論を研究。 N.ヨメリ,J. C.バッハ,G.サルティらを教えた。音楽関係の収集図書は1万 7000巻をこえ,ウィーン王立図書館 (のちのオーストリア国立図書館) とボローニャ市に遺贈された。主著は未完の『音楽史』 Storia della musica (3巻,1757~81) ,『対位法譜例集』 Saggio di contrappunto (2巻,74~75) 。

マルティーニ
Martini, Fausto Maria

[生]1886. ローマ
[没]1931. ローマ
イタリアの詩人,劇作家,劇評家,小説家。コラッツィーニと並び「たそがれ派」の一人に数えられる。コラッツィーニの夭折に際し,詩集『小さな死』 Le piccole morte (1906) や『片いなかの詩』 Poesie provinciali (10) を著わした。『トリブーナ』や『ジョルナーレ・デ・イタリア』誌に拠って劇評を発表。小説の代表作『ニューヨーク上陸』 Si sbarca a New York (30) 。

マルティーニ
Martini, Martino

[生]1614. トリエント
[没]1661.6.6. 杭州
イタリアのイエズス会士。中国名は衛匡国。明末の崇禎 16 (1643) 年に布教のため中国到着。動乱期の中国を巡回し,杭州に滞留。のち典礼問題をめぐる意見開陳のためローマ教皇庁におもむき,順治 16 (59) 年再び中国に来て没した。著書に『韃靼 (だったん) 戦記』 (54) ,『中国史初編』 (10巻,58) など,また漢文の著書に『天主理証』『霊性理証』などがある。

マルティーニ
Martini, Ferdinando

[生]1841. フィレンツェ
[没]1928. モンスンマーノ,バルディニエボレ
イタリアの政治家,劇作家,評論家,小説家。文相 (1892~93) ,植民地相 (1915~19) などを歴任し,かたわら文芸の振興に尽した。主著『侯爵夫人』 La marchesa (1877) ,『まむし』 La vipera (1906) 。

マルティーニ
Martini, Jean Paul Egide

[生]1741.9.1. フライシュタット
[没]1816.2.10. パリ
ドイツ生れのフランスの作曲家。 1760年ナンシーに移住,64年パリに行き軍楽とオペラの作曲で成功を収め,コンデ公やアルトア伯に仕えた。『愛の喜び』ほかのロマンスの作曲家として知られる。

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