イタリアの画家。シエナ生れ。シエナ派の祖ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャに師事し,同派の最も重要な画家となった。師の流麗な線と華麗な色彩感をいっそう発展させ,純化された描線と洗練の極に達した色彩をその様式の特質とする。このような特質にもかかわらず彼の画面が現実とかけ離れた装飾性に堕することがなかったのは,主として次のような理由によると思われる。第1に人物が役割や場面に応じて微妙な心理的陰影に富む表情やポーズを示していること,第2に衣服の図柄や材質が克明に再現されていること,そして第3に遠近法が15世紀初頭の線的遠近法の確立以前にしてはきわめて的確に適用されていることである。
最初の重要な作品,シエナ市庁舎(パラッツォ・プブリコ)壁画の《マエスタ(荘厳の聖母)》(1315。1321年に画家自身が修復)は,ビザンティン風の図式的表現を離れてフランス・ゴシックの影響を感じさせる,生気の漂う作品である。1317年前後にはナポリのアンジュー公の宮廷にあり,その後再びシエナ市庁舎壁画《グイドリッチョ・ダ・フォリアーノ騎馬像》(1328)で,イタリア絵画史上初の広大な風景空間の描写を行った。33年には,彼の最も有名な作品《受胎告知》(ウフィツィ美術館)をシエナ大聖堂のために制作。この金地の祭壇画では,優美な装飾性と繊細な心理描写,敬虔な宗教性と精緻な写実性とがたぐいまれな融合を示している。39年アビニョンの教皇庁に招かれ,同地で没。同地での作品はわずかしか現存しないが,そこに見られる晩年の様式は,心理描写と強烈な色彩によってフランス美術に活気を与えた(国際ゴシック様式)。
執筆者:鈴木 杜幾子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イタリアの画家。シエナ生まれ。シエナ派画家の代表的な存在であるが、修業期の経歴はほとんど不明である。しかしシエナ派の始祖ドゥッチョに師事したことは確実視され、14世紀前半にイタリア各地に伝播(でんぱ)したビザンティン様式を克服しながら、一方ではアルプス以北のゴシック様式を積極的に取り入れて独特の線描法、彩色法を駆使し、情緒にあふれる画風を確立した。1315年に制作した『マエスタ』(シエナ市庁舎)は彼の最初期の作品である。17年にはナポリ王ロベルト・ダンジューに招かれて『戴冠(たいかん)図』(ナポリ、カーポディモンテ美術館)を制作した。28年の制作時が銘記されている『グイドリッチオ・ダ・フォリアーノ将軍騎馬像』(シエナ市庁舎)は騎馬を主題とした現存絵画では最古の事例で、彼の写実的力量がよく示されている。アッシジのサン・フランチェスコ聖堂にある聖マルティヌス伝や聖女キアーラの肖像も彼の手になるものとみなされているが、33年に義弟リッポ・メンミLippo Memmiの協力を得て完成した祭壇画『受胎告知』(ウフィツィ美術館)は彼の画風が典型的に示された代表作である。39年までにアビニョンに赴き、シエナの画風と北ヨーロッパ・ゴシック様式の媒介者として活躍し、国際ゴシック様式の形成に重要な役割を果たし、同地で没した。
[濱谷勝也]
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1284頃~1344
イタリア,シエナ派の代表的画家。同派の創始者ドゥッチオの影響を受けながらも,フランス・ゴシック様式を取り入れ,繊細優雅で情緒的な画風をより洗練させた。さらに世俗的性格も精妙に加味しながら,同画派の様式の伝播に多いに寄与した。アンジュー家の招きによりナポリにおもむいたのち,1340年頃から南仏アヴィニョンの教皇庁に招聘されて,同地で没。アヴィニョンを含む彼の活動は,当時の文化的中心地を結ぶパン・ヨーロッパ的な国際ゴシック様式の基礎を築いた。代表作は「マイエスタ(荘厳の聖母)」「受胎告知」など。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
… 国際的交流は,1320年代すでにジョットにはじまるイタリア絵画の革新の影響として,空間の存在を暗示する立体感や遠近感表現の画面への導入や,感情表現に示される人間解釈の深化がアルプス以北の作品に散見されることから立証されているが,14世紀中葉,教皇の都アビニョンと皇帝の都プラハでの造営事業を通じて本格化する。アビニョンに集まった工人の出身地は多彩であるが,S.マルティーニ,ジョバネッティMatteo Giovanetti(生没年不詳)などシエナ派の画家が招かれ教皇庁壁画,祭壇画,写本挿絵制作などに活躍し,アビニョンを中継地としてシエナ派の影響が国際的に波及した。プラハでもカール4世が,地元のみならずフランス,ドイツ,イタリアから工人を招き,大聖堂やカールシュタイン城を造営した。…
…ジョットはアッシジ,パドバ,フィレンツェ(サンタ・クローチェ教会)の壁画において,このような現実感のこもった劇的な宗教芸術を実現したのであった。フィレンツェのジョットとその門人たちの活動に対し,ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ,マルティーニおよびロレンツェッティ兄弟らのシエナ派の活動もめざましかった。ドゥッチョらはビザンティン絵画の伝統をおしすすめ,精巧な技巧をもって,現実感に裏づけられた中世宗教画の美を発揮する。…
…13世紀にはすでにグイード・ダ・シエナGuido da Sienaのような画家が現れるが,真にこの派の基礎を確立したのは,ジョットと同時代のドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャが登場してからである。彼は東方のビザンティン美術と北方のゴシック美術を摂取・融合して,繊細な形態を線のリズムが包む甘美で抒情的な画風をつくり上げ,さらに弟子のシモーネ・マルティーニが,よりソフトで優雅な装飾性の濃い絵画へと発展させた。この時期のシエナ派絵画は,フィレンツェ派と並んで,イタリア各地に強い影響を及ぼした。…
※「マルティーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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