日本歴史地名大系 「甲地村」の解説 甲地村かつちむら 青森県:上北郡東北町甲地村[現在地名]東北町 乙越(おつこし)・往来下(おうらいしも)・往来上(おうらいかみ)・素柄邸(すがらやしき)・下笹橋(しもささはし)・上笹橋(かみささはし)など小川原(おがわら)湖の西側に本村があり、村域は現東北町一帯に及ぶ。北は有戸(ありと)・野辺地(のへじ)・馬門(まかど)の各村(現野辺地町)、南は上野(うわの)(現上北町)、二ッ森(ふたっもり)・榎林(えのきばやし)・附田(つくた)・天間館(てんまだて)の諸村(現天間林村)、東は鷹架(たかほこ)・平沼(ひらぬま)・倉内(くらうち)の諸村(現六ヶ所村)と小川原湖、西は狩場沢(かりばさわ)村(現東津軽郡平内町)に接する。通称甲地は江戸期の中心地。地名の由来について明治初年の「新撰陸奥国誌」は、南部氏が入封して蝦夷を追討した際に蝦夷は甲を脱して逃げ、その甲冑を埋めた地を甲地、甲を投じた沼を甲田(かつた)沼(現在なし)と称したと伝えている。正保四年(一六四七)の南部領内総絵図には甲地村の記述がなく、後に支村となる板橋(いたばし)村が一四石余と一村として扱われている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by