日本歴史地名大系 「甲斐田村」の解説 甲斐田村かいだむら 大阪府:枚方市甲斐田村[現在地名]枚方市甲斐田町・甲斐田新(かいだしん)町・甲斐田東(かいだひがし)町・北片鉾(きたかたほこ)町・片鉾東(かたほこひがし)町・片鉾本(かたほこほん)町・中宮北(なかみやきた)町・上野(うえの)二―三丁目・新之栄(しんのえ)町・須山(すやま)町・交北(こうほく)一―四丁目・田口(たぐち)一丁目・同三―四丁目・出屋敷西(でやしきにし)町一丁目洪積層の丘陵台地に位置し、村内を甲斐田川が西に流れる。交野(かたの)郡に属し、小倉(おぐら)村・片鉾村の南にある。「物いはじ父はながらの人柱きじも鳴かずばうたれざらまし」の歌とともに、多言をいましめる俚諺で知られる甲斐田長者の伝説が残る(河内志ほか)。その長者屋敷跡と伝える場所にある小堂には甲斐田仏があり、江戸末期まで産土神として崇信された。 甲斐田村かいだむら 大分県:大分郡庄内町甲斐田村[現在地名]庄内町高岡(たかおか) 甲斐田・宇南(うなめ)・水足(みつたり)など大分川左岸に位置し、西は東家(とうげ)村。貞治三年(一三六四)二月日の大友氏時所領所職等注進状案(大友文書)および永徳三年(一三八三)七月一八日の大友親世所領所職等注進状案(同文書)に「阿南庄甲斐田村」とみえ、大友惣領家が地頭職を保有していた。天文二年(一五三三)一二月吉日の阿南庄松武名土貢諸済物納帳(大徳寺黄梅院文書)によると当村は松武(まつたけ)名に含まれ、市が存在し公事銭一貫文が徴収されていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by