甲津畑村(読み)こうづはたむら

日本歴史地名大系 「甲津畑村」の解説

甲津畑村
こうづはたむら

[現在地名]永源寺町甲津畑

和南わなみ村の南にあり、東端ひら(千草峠)御在所ございしよ山など。集落は西部を北西流する和南川左岸にある。千草ちぐさ越が通る。村名は香津畑こうづはた上津畑こうづはた甲頭畑こうづはたなどとも記される。第二次六角征伐の際の明応元年(一四九二)には「上津畑」に幕府方の陣が布かれた(「蔭涼軒日録」同年九月二四日条など)。永正一五年(一五一八)一二月二一日の南郷諸商売定書案(今堀日吉神社文書)に甲津畑とみえ、座人・山越商人が千草越を通り当地に立寄らず乗馬のまま通過することを許さないと申合されている。伊勢国境に近い甲津畑には近江側の関所が設けられていた。弘治二年(一五五六)九月一四日、駿河へ下る山科言継は当地の速水(畑)勘解由左衛門の所で休息ののち千草越へ向かった(言継卿記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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