甲賀村
こうかむら
[現在地名]阿児町甲賀
太平洋に面し北に国府村、南に立神村と接する。甲可とも加布可とも記す(元亨二年志摩国民部省図帳)。「和名抄」の英虞郡甲賀郷の地で、「神宮雑例集」には「志摩国甲賀村神田内宮五町九段、外宮二町二段」、長徳二年(九九六)一一月三日の伊福部利光治田処分状案写(光明寺古文書)に「甲賀御庄下司出雲介家女伊福部貴子」とみえる。
字岬城・奥の浜・橋本には縄文・弥生期の遺物包含地があり、奥・岡畑・石間・一之坪・浜田・片倉には古墳が、向井田には鎌倉期の経塚がある。
甲賀村
こうかむら
[現在地名]伊吹町甲賀
吉槻村の北西、南東流する姉川両岸に位置する。西は山地で鍛冶屋村・郷野村・野瀬村(現東浅井郡浅井町)に接する。寛永石高帳に村名がみえ高一三四石余、小堀遠州領(幕府領か)。以後の領主の変遷は吉槻村に同じ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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