申維翰(読み)シン・ユハン

朝日日本歴史人物事典 「申維翰」の解説

申維翰

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:粛宗7(1681)
朝鮮王朝後期の文官。日本語読みは「しん・いかん」。英祖27(1751)年まで存命が確認できる。字は周伯,号は菁川,青水。粛宗39(1713)年科挙に合格。享保4(1719)年通信使の製述官(書記官)に選ばれ来日。訪日の際の道中日記と日本事情観察記をまとめて『海游録』を著した。維翰の文才朝鮮の朝廷内で「古も亦た罕倫(稀れ)」と評されたほどで寛延1(1748)年通信使訪日の際には日本人でその消息を問う者がはなはだ多かったという。<参考文献>姜在彦訳注『海游録』

(鶴田啓)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「申維翰」の解説

申維翰 しん-いかん

1681-? 朝鮮王朝の文官。
粛宗7年生まれ。享保(きょうほう)4年(1719)徳川吉宗(よしむね)の将軍襲職をいわう朝鮮通信使の製述官(書記官)として来日。対馬(つしま)(長崎県)府中藩雨森芳洲(あめのもり-ほうしゅう)らとまじわり,江戸までの道中や日本の風俗,習慣をしるした「海游録」をあらわした。字(あざな)は周伯。号は菁川,青泉。

申維翰 シン-ユハン

しん-いかん

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の申維翰の言及

【海游録】より

…1719年(享保4),徳川吉宗の将軍職襲位を賀す朝鮮通信使(正使洪致中)の製述官申維翰の日本紀行文。内容は日本の自然,物産,文物,制度,人情,世相,風俗の観察から,対馬藩真文役雨森芳洲,大学頭林信篤などとの筆談にまで及ぶ。…

※「申維翰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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