申維翰 しん-いかん
1681-? 朝鮮王朝の文官。
粛宗7年生まれ。享保(きょうほう)4年(1719)徳川吉宗(よしむね)の将軍襲職をいわう朝鮮通信使の製述官(書記官)として来日。対馬(つしま)(長崎県)府中藩の雨森芳洲(あめのもり-ほうしゅう)らとまじわり,江戸までの道中や日本の風俗,習慣をしるした「海游録」をあらわした。字(あざな)は周伯。号は菁川,青泉。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の申維翰の言及
【海游録】より
…1719年(享保4),徳川吉宗の将軍職襲位を賀す[朝鮮通信使](正使洪致中)の製述官申維翰の日本紀行文。内容は日本の自然,物産,文物,制度,人情,世相,風俗の観察から,対馬藩真文役[雨森芳洲],大学頭林信篤などとの筆談にまで及ぶ。…
※「申維翰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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