コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

申維翰 シン ユハン

3件 の用語解説(申維翰の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

申維翰 シン-ユハン

しん-いかん

申維翰 しん-いかん

1681-? 朝鮮王朝の文官。
粛宗7年生まれ。享保(きょうほう)4年(1719)徳川吉宗(よしむね)の将軍襲職をいわう朝鮮通信使の製述官(書記官)として来日。対馬(つしま)(長崎県)府中藩の雨森芳洲(あめのもり-ほうしゅう)らとまじわり,江戸までの道中や日本の風俗,習慣をしるした「海游録」をあらわした。字(あざな)は周伯。号は菁川,青泉。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

申維翰

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:粛宗7(1681)
朝鮮王朝後期の文官。日本語読みは「しん・いかん」。英祖27(1751)年まで存命が確認できる。字は周伯,号は菁川,青水。粛宗39(1713)年科挙に合格。享保4(1719)年通信使の製述官(書記官)に選ばれ来日。訪日の際の道中日記と日本事情観察記をまとめて『海游録』を著した。維翰の文才は朝鮮の朝廷内で「古も亦た罕倫(稀れ)」と評されたほどで寛延1(1748)年通信使訪日の際には日本人でその消息を問う者がはなはだ多かったという。<参考文献>姜在彦訳注『海游録』

(鶴田啓)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の申維翰の言及

【海游録】より

…1719年(享保4),徳川吉宗の将軍職襲位を賀す朝鮮通信使(正使洪致中)の製述官申維翰の日本紀行文。内容は日本の自然,物産,文物,制度,人情,世相,風俗の観察から,対馬藩真文役雨森芳洲,大学頭林信篤などとの筆談にまで及ぶ。…

※「申維翰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

申維翰の関連キーワード朝鮮王朝朝鮮王朝実録論語読み朝鮮王室儀軌金誠一黄允吉洪喜男鄭希得朴瑞生《朝鮮王朝実録》

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone