町切村
ちようぎりむら
厳木川の中流が大きく曲折する右岸にある。
元和検地帳に村名がみえる。地名の由来について、相知文書に「道の原」と記されるのに比定し、ここが相知氏のほかの所領地と離れているので、「ちょんぎれ」と方言でよび、それが町切となったという。
字明神山の峠には相知の関が置かれたという。有浦家文書によれば文禄年間(一五九二―九六)、豊臣秀吉はここに町切の関所を置いた。
この村では波多氏の遺臣佐々木近江が初代庄屋となったが、享和三年(一八〇三)松浦党の新久田氏の子孫井手氏が転庄屋として入り、明治初めまで勤めた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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