日本歴史地名大系 「町四丁目」の解説 町四丁目こうじまちよんちようめ 東京都:千代田区旧麹町区地区町四丁目[現在地名]千代田区麹町三―四丁目麹町三丁目の西に続く甲州道中沿いの町屋。西は麹町五丁目、南は麹町山元(こうじまちやまもと)町。横町が南に二つ、北に一つある。自身番のある南横町を矢倉下と称した。北横町を手島の横町とよんだ。これは横町の角に手島という大きな両替商があったことによる。また麹町四丁目裏から五番(ごばん)町へ通じる坂を願生寺谷と称した。谷から坂道を上るため俗に赤土山ともいった(麹街略誌稿)。大通りを中心に南北の町屋で構成されるが、元禄四年(一六九一)に南側の町屋が収公され、麹町通広小路となった。同地は同五年馬場となり、宝永年間(一七〇四―一一)に町屋に復した。大通りの北側の町裏には享保一三年(一七二八)に町方持明地が作られ、文政六年(一八二三)明地は穴(あな)八幡放生(ほうじよう)寺(現新宿区)拝借地となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by