北横町(読み)きたよこちよう

日本歴史地名大系 「北横町」の解説

北横町
きたよこちよう

[現在地名]弘前市北横町

城の東側に位置し、和徳わつとく町と町とを南北に結ぶ道筋町並

延宝五年(一六七七)弘前惣御絵図(市立弘前図書館蔵)によれば、東長ひがしなが町七丁目と八丁目(現和徳町)との間を境に、北に東長町北横ひがしながまちきたよこ町、南に東長町南横ひがしながまちみなみよこ(現南横町)として町割され、四一軒の屋敷割のうち、無家の貼紙のあるのが六軒。貞享三年(一六八六)の弘前町役覚(「要記秘鑑」市立弘前図書館蔵)によれば、町役は南横町とともに下々役と定められ、一軒につき年間三五人の人足を負担した。国日記宝永二年(一七〇五)六月一〇日条によれば、元禄一四年(一七〇一)の地子銀納への改定では、下々役よりも低く一軒につき銀一〇匁を納めることになったが、同一二年から一四年までは、五匁のみを負担した。

北横町
きたよこちよう

[現在地名]富山市小島町こじまちよう日之出町ひのでまち

いたち川左岸に沿い、南北に延びる両側町。南は中島なかじま町・たて町に接し、北は小島町が続く。田地方のうち。寛文六年(一六六六)の御調理富山絵図にみえ前田利次による町割当初からの町。安永八年(一七七九)の本家数一三・貸家数一二(「町方旧記抜書」前田家文書)

北横町
きたよこちよう

上京区塔之段寺町通今出川上ル二筋目西入

町の中央で東西と南北の通りが交差する。寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「との段北横町」、寛保初京大絵図には「本トウノ段ヨコ丁」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「横塔之檀町」とある。天保二年(一八三一)改正京町絵図細見大成には「本満寺横丁」と記される。「坊目誌」は「元東方を本満寺横町とよび、西方を上塔ノ壇横町と唱ふ」と記し、明治二年(一八六九)合併して北横町と改めたとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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