町田則文(読み)マチダ ノリフミ

20世紀日本人名事典 「町田則文」の解説

町田 則文
マチダ ノリフミ

明治期の教育者 東京盲学校長。



生年
安政3年11月25日(1856年)

没年
昭和4(1929)年11月23日

出生地
常陸国(茨城県)

学歴〔年〕
東京師範卒

経歴
常陸土浦藩士・町田惣蔵の長男として生まれる。藩校分館・采藻館で、明治維新後、新治県立英学校・化成館で学ぶ。11年茨城師範学校に勤め英語を指導、茨城教育協会の創立参画。16年土浦に新設の茨城第二中学校の校長兼教諭となる。のち文部省の要請により愛媛師範学校校長、埼玉師範学校校長、高等師範学校教授、台湾総督府国語学校校長、女子高等師範学校教授を歴任、その間、教育論文を発表。明治43年東京盲学校初代校長となり、身障者教育に貢献した。著書に「明治国民教育史」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「町田則文」の解説

町田則文 まちだ-のりふみ

1856-1929 明治-大正時代の教育者。
安政3年11月25日生まれ。愛媛,埼玉の師範校長,高等師範教授,台湾総督府国語学校長,女子高等師範教授を歴任。明治43年東京盲学校初代校長となり,身障者教育に献身した。昭和4年11月23日死去。74歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。東京師範卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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