日本歴史地名大系 「留原村」の解説 留原村ととはらむら 東京都:あきる野市旧五日市町地区留原村[現在地名]あきる野市留原秋(あき)川右岸にあり、西は小和田(こわだ)村。富原とも記す(元禄郷帳など)。天文二〇年(一五五一)九月六日の広徳寺領書立(広徳寺文書)に「戸津原」とあり、大石道俊が広徳(こうとく)寺領として安堵している。田園簿では田六石余・畑一六〇石余で幕府領。以後幕末まで幕府領であったと考えられる。寛文七年(一六六七)の検地帳(五日市町史)では田一町六反余・畑二一町一反余・屋敷一町二反余。元禄郷帳では高一八一石余。享保六年(一七二一)の山之根村高改帳でも高一八一石余で幕府領。「風土記稿」では民家五〇、小名は上平・下平・小林(こばやし)・西村など。弘化四年(一八四七)から嘉永二年(一八四九)にわたって、伊奈(いな)村ほか六ヵ村と漁場出入を起こした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by