あきる野市(読み)アキルノシ

デジタル大辞泉 「あきる野市」の意味・読み・例文・類語

あきるの‐し【あきる野市】

あきる野

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「あきる野市」の解説

あきる野市
あきるのし

面積:七三・三四平方キロ

東京都の西部に位置する。南部は八王子市、東部は福生ふつさ市、北部は羽村はむら市・青梅おうめ市および西多摩郡日の出ひので町・同奥多摩町、西部は檜原ひのはら村と接する。市域の東部では南と北に緩やかに連なる丘陵に囲まれた秋留あきる台地が広がる。その北部を平井ひらい川、南部をあき川が東流し、いずれも多摩川に合流するが、秋川を西にさかのぼると盆地状に開けた五日市いつかいちに至る。さらに上流筋には麻生あそう(七九四メートル)高明こうみよう(七九八メートル)馬頭刈まずかり(八八四メートル)臼杵うすき(八四二・一メートル)市道いつぽち(七九五・一メートル)刈寄かりよせ(六八七メートル)などの山嶺がそびえる。市域をJR五日市線、国道四一一号、五日市街道・檜原街道などが通る。西部の奥多摩の山々に連なる山間部は秩父多摩国立公園、秋川右岸の一帯は秋川(加住)丘陵都立自然公園、北東部の多摩川右岸の一帯は羽村草花はむらくさばな丘陵都立自然公園となっている。

〔原始・古代〕

市域を東流する秋川・平井川沿いに、現在一一〇余の遺跡が存在する。秋川左岸の雨間あめま地区遺跡群では旧石器時代終末期の細石刃の石器製作跡が発見されている。二河川に挟まれた秋留台地の東端部には、縄文時代を中心とする前田耕地まえだこうち遺跡があり、草創期の住居跡二軒・石器製作跡六ヵ所が発見され、尖頭器など膨大な量の資料が出土している。同中期には台地上に大集落が形成され、二宮にのみや遺跡や草花遺跡前原まえはら遺跡などが知られる。また同後期の遺構も各所で発見され、秋川左岸の清水しみず遺跡、平井川左岸の羽ヶ田はがた遺跡がある。古墳時代では、近年秋留台地最上面に位置する代継富士見台よつぎふじみだい遺跡・石神いしがみ遺跡などで同初頭の集落が相次いで発見されている。また同後期の大きな集落も両遺跡や雨間地区遺跡群から発見された。この遺跡群ではコの字形の溝や馬具が出土、平井川右岸日の出町三吉野みよしの遺跡群でも同様に長大な溝や馬具が出土していることから、ともに牧関連遺跡と考えられている。またこの遺跡群に近接して同終末期の瀬戸岡せどおか古墳群があり、これらの遺跡群との関係が注目されている。平安時代では前田耕地遺跡で集落が発見されているほか、近年石神遺跡や平井川対岸の橋場はしば遺跡で奈良・平安時代の集落が発見され、古代における市域の土地開発の様相がしだいに明らかになりつつある。

律令時代の当市域は多摩郡に所属し、「和名抄」にみえる同郡小川おがわ郷の故地に比定されている。市内の小川は同郷の遺称地である。小川の辺りは多摩川・平井川と秋川に挟まれ、牧の好適地であったことがうかがわれるので、ここに武蔵国勅旨牧の一である小川牧が置かれていたとみてよいであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「あきる野市」の意味・わかりやすい解説

あきる野〔市〕
あきるの

東京都西部,多摩川の西岸,秋川,平井川沿いにある市。秋川市と五日市町が合併して,1995年市制。市名は中世からこの地域を「秋留郷 (あきるごう) 」と呼びならわしてきたことに由来する。丘陵に囲まれた秋留台地には五日市街道沿いに市街地が広がる。第2次世界大戦前は養蚕,近年までは野菜栽培,養鶏が盛んな近郊農村であったが,農家の兼業化も目立ち,都市化している。西部は奥多摩に連なる山間部で,秋川,養沢川,盆堀川が渓谷を形成している。山林の多くはスギの人工林で,製材業が盛んである。史跡に西秋留石器時代住居跡がある。小宮地区は秩父多摩甲斐国立公園に属する。東北部の草花丘陵にはハイキングコースがあり,羽村草花丘陵都立自然公園に含まれる。南部は秋川丘陵都立自然公園に属する。 JR五日市線が通る。面積 73.47km2。人口 7万9292(2020)。

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