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畠山稙長 はたけやま たねなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

畠山稙長 はたけやま-たねなが

1504-1545 戦国時代の武将。
永正(えいしょう)元年生まれ。畠山尚順(ひさのぶ)の子。河内(かわち)(大阪府)高屋城主。天文(てんぶん)3年弟畠山長経を推す家臣遊佐長教(ゆさ-ながのり),木沢長政らに城を追われる。11年長経の反乱を鎮圧して高屋城にはいり,河内守護に復帰した。天文14年5月15日死去。42歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

畠山稙長

没年:天文14.5.15(1545.6.23)
生年:永正2(1505)
戦国時代の武将。父は尚順。尾張守。河内・紀伊・越中守護。永正12(1515)年に元服し,紀伊に移った父から河内を任されるが,その支配を巡り一族の義英と攻防が続いた。また同17年,尚順が内衆・国人らに紀伊より追放された。しかし内衆らが稙長には恭順の意を表したこともあり紀伊には侵攻せず,その結果復帰に失敗した尚順は,大永1(1521)年河内に出陣,親子合戦となった。同7年に足利義維,細川晴元による堺公方府が成立したのちも,将軍足利義晴方として戦い,天文1(1532)年に堺公方府が崩壊すると,同3年紀伊に出陣。ところがこのときすでに義晴と晴元の和睦がなり,稙長は木沢長政と和睦した守護代遊佐長教により廃され,紀伊根来寺に閑居した。その後長教に擁立されて弟の長経が河内守護となるが,同11年に長政が晴元に反すると,稙長は紀伊の国人湯河直光らの援助を得てこれを鎮圧。河内高屋城に復帰し,河内守護に返り咲いた。

(石田晴男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

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