ドイツのメゾ・ソプラノ歌手。ベルリン生まれ。両親とも声楽家という恵まれた環境で早くから音楽を学び、1946年フランクフルト歌劇場でデビュー。1954年にザルツブルク音楽祭に出演、翌年にはウィーン国立歌劇場と契約、ともにモーツァルト『フィガロの結婚』のケルビーノ役で成功を収めた。以後R・シュトラウス『ばらの騎士』などでシュワルツコップと共演、またベーム、カラヤンらの指揮で多くのオペラに登場、名声を博した。1963年(昭和38)秋、ベルリン・ドイツ・オペラの日本公演で初来日。1990年(平成2)に再来日。彼女はとりわけ、モーツァルト、R・シュトラウス、ワーグナーの作品における役の的確な表現、深みのある美声で高く評価されていた。また歌曲にも意欲的に取り組み、シューベルト歌曲などの録音も行った。1994年ヨーロッパとアメリカへの歌曲演奏旅行をもって引退。以後マスタークラスを開催して教育活動に専念した。
[美山良夫]
『ウィーン国立歌劇場友の会編、香川檀訳『ウィーン・オペラの名歌手(1)』(1988・音楽之友社)』▽『ヘレナ・マテオプーロス著、岡田好恵訳『ブラヴォー/ディーヴァ――オペラ歌手20人が語るその芸術と人生』(2000・アルファベータ)』
ドイツの生理学者。1839年マールブルク大学を卒業し、同校の生理学助教授を務め、その間キモグラフ(運動動体記録器)を考案し、のちの循環系生理学の研究に役だてた。1849年チューリヒ大学教授に就任し、『生理学教科書』を出版した。プロイセンの反動政治を不満として辞職し、1855年ウィーンの軍医学校の生理学、物理学教授となった。1865年ライプツィヒ大学教授に転じ、多くの後進を養成した。300名にも及ぶ彼の門下のなかに、アメリカのバウディッチHenry Pickering Bowditch(1840―1911)やロシアのパブロフがいる。ルートウィヒの代表的研究は、尿生成に関する糸状体の濾過(ろか)説に始まり、リンパの生成、唾液(だえき)分泌神経と続き、血液ガス、血流、血圧、血管運動神経、減圧神経などの循環系の研究が有名である。
[古川 明 2018年12月13日]
バイエルン王(在位1864~86)。幼時期をホーエンシュワンガウ城で過ごしたが、中世ドイツの伝説にひかれ、1861年作曲家ワーグナーに心酔し、即位後もその保護者となった。プロイセン・オーストリア戦争(1866)の際オーストリアに味方したが、プロイセン・フランス戦争(1870~71)ではビスマルクの巧妙な戦略にのせられ、なかば強制的にプロイセン王のドイツ皇帝推薦の役割を演じさせられた。現実の政治から逃避してロマンの世界に没入し、ノイシュバーンシュタイン城などを建築。芸術を愛好して莫大(ばくだい)な費用をかけたため、86年6月にミュンヘン大学教授グッデンB. A. von Gudden(1824―86)らの医師によって、統治不能との精神鑑定を受け、シュタルンベルク湖畔に幽閉された。同月13日グッデンとともに散歩に出たが、2人は溺死(できし)体となってみつかった。当時ミュンヘンにあった森鴎外(おうがい)は、この事件を題材に『うたかたの記』(1890)を書いた。
[進藤牧郎]
ドイツの小説家、劇作家。自ら命名した19世紀の文学思潮「詩的リアリズム」を代表する作家の1人。チューリンゲン地方のアイスフェルトに生まれ、ドレスデンで死去。人生の真実の追究を文学のモットーとし、故郷の村の生活をユーモラスに点描した『陽気な娘』(1855)は郷土小説の先駆となり、教会の屋根の修復をめぐって同じ女性を愛した兄弟間のすさまじい葛藤(かっとう)を描く長編『天と地の間』(1856)は、心理小説の分野を開拓した。劇作家としては、数多くの断片や草稿を残したが、完成した作品は運命悲劇『世襲山林監督官』(1850)と『旧約聖書』に取材した韻文の悲劇『マカベア一族』(1854)だけである。晩年は半身不随の身となりながら、シラーの理想主義的悲劇を否定しリアリズム劇を主張するユニークな演劇論『シェークスピア試論』(1871、没後刊)を書き続けた。
[丸山 匠]
カロリング家の初代東フランク国王(在位843~876)。ドイツ人王ともよばれる。カロリング朝フランク王国の皇帝ルイ(ルートウィヒ)1世の第3子。父帝が817年に公布した帝国計画令により、バイエルン分国王に封ぜられたが、父帝死(840)後の相続争いでは、異母弟シャルル1世(カール2世)と結んで、長兄ロタール1世に対抗し、フォントノアの戦い(841)でこれを破るとともに、ストラスブールで誓約を交わし、シャルル1世との同盟を強化した(842)。843年ベルダン条約が結ばれ、フランク王国は事実上三分割され、ルートウィヒはライン川以東の東フランク国王となった。さらに870年のメルセン条約で西フランク国王シャルル1世とロートリンゲン(ロレーヌ)を分割した。
[平城照介]
ウィッテルスバハ家のドイツ国王(在位1314~47)、神聖ローマ皇帝(在位1328~47)。バイエルン人王ともよばれる。1314年反ハプスブルク派諸侯により、ハプスブルク家のフリードリヒ3世の対立国王に選ばれ、ミュールドルフの戦い(1322)でフリードリヒ3世を破り、支配権を確立した。彼の王位を承認しない教皇ヨハネス22世と争い、イタリア遠征を行って、教皇を廃位、対立教皇を擁して皇帝に戴冠(たいかん)された。さらにレンゼの帝国会議(1338)で、諸侯の多数決で選出されたドイツ国王は教皇の戴冠なくとも神聖ローマ皇帝であるという原則を樹立した。
[平城照介]
カロリング家の最後の東フランク国王(在位900~911)。幼児王ともよばれる。父王アルヌルフの死後、幼くして国王に選ばれたが、実権は東フランクの豪族層に握られて、ザクセン(リウドルフンク家)、シュワーベン(フンフリデンク家)、フランケン(コンラート家)、バイエルン(リウトポルト家)等の諸部族大公家台頭の基盤がつくられ、また対外的にはマジャール人の侵入に脅かされた。子供を残さず早世したため、カロリング家の王統が絶え、国内豪族層はフランケン大公コンラートを国王に選出し、中世ドイツ王国としての歩みが開始された。
[平城照介]
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ドイツ写実主義の作家。彼が提唱した理想主義と自然主義の統一を目ざす〈詩的写実主義〉は,19世紀後半の自然主義に至るまでの時代を表す文学史上の概念として今日も使用される。チューリンゲンのアイスフェルトに生まれ,最初ライプチヒで音楽を学ぶ。その後文学に転向,シェークスピアに感銘して劇作家を目ざし《世襲山林監督》(1853)などの悲劇を書いたが,本領は小説にある。代表作は屋根葺師兄弟の争いを描く心理小説《天と地の間》(1856)。ただし地方的・倫理的性格が強く,郷土文学としての限界も感じられる。
執筆者:平田 達治
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…イギリス軍人の娘としてアイルランドに生まれ,一時インドで暮らし,5年間の最初の結婚生活の後,1843年〈スペインの舞姫〉としてロンドンでデビュー,フランス,ドイツ,ロシアなどでも公演して好評を博した。46年のミュンヘン公演のおり,バイエルン国王ルートウィヒ1世Ludwig I(在位,1825‐48。〈狂王〉ルートウィヒ2世の祖父)の寵を得るところとなり,彼女はランツフェルト伯爵夫人の称号を受けるなどして大いに勢威をふるい,その影響は国事にまで及んだ。…
…次いでカール大帝は,804年スラブ人に対する防衛線をザーレ川と定め,チューリンゲンを辺境伯領とした。カール大帝の孫ルートウィヒ2世は,トラクルフをチューリンゲン公に封じ,その子孫は908年まで辺境伯を称している。同年この地はザクセン大公(リウドルフィング家)によって奪われたが,同家のハインリヒ1世がドイツ国王に,さらにその息子オットー1世が神聖ローマ皇帝となったため,またこの間ドイツ人の居住地域がザーレ川を越えてはるか東方に進出したためこの地は辺境伯領としての意義を失い,むしろドイツ領の中核となった。…
…次いでカール大帝は,804年スラブ人に対する防衛線をザーレ川と定め,チューリンゲンを辺境伯領とした。カール大帝の孫ルートウィヒ2世は,トラクルフをチューリンゲン公に封じ,その子孫は908年まで辺境伯を称している。同年この地はザクセン大公(リウドルフィング家)によって奪われたが,同家のハインリヒ1世がドイツ国王に,さらにその息子オットー1世が神聖ローマ皇帝となったため,またこの間ドイツ人の居住地域がザーレ川を越えてはるか東方に進出したためこの地は辺境伯領としての意義を失い,むしろドイツ領の中核となった。…
…次いでカール大帝は,804年スラブ人に対する防衛線をザーレ川と定め,チューリンゲンを辺境伯領とした。カール大帝の孫ルートウィヒ2世は,トラクルフをチューリンゲン公に封じ,その子孫は908年まで辺境伯を称している。同年この地はザクセン大公(リウドルフィング家)によって奪われたが,同家のハインリヒ1世がドイツ国王に,さらにその息子オットー1世が神聖ローマ皇帝となったため,またこの間ドイツ人の居住地域がザーレ川を越えてはるか東方に進出したためこの地は辺境伯領としての意義を失い,むしろドイツ領の中核となった。…
※「ルートウィヒ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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