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1545-63年,北イタリアのトレント(ドイツ語名トリエント)で開かれた第19回世界教会会議。1520年代から教会改革のために教会会議開催の必要が叫ばれていたが,キリスト教社会内外の政治的対立で開催がおくれ,教皇パウルス3世(在位1534-49)の努力によって実現したもの。プロテスタントの主張に対してローマ・カトリックの教義を明らかにし,またカトリック教会の改革を具体化する重要な教令を決定したことにこの会議の意義がある。3期に分けられ,第1期は1545年12月から47年6月,第2期は51年5月から52年4月,第3期は62年1月から63年12月にかけて開催された。
会議は教義については聖書と伝承の関係,聖書の正典,聖書ラテン語訳(《ウルガタ》),原罪,義化,七秘跡についての決定を行い,教会改革については司教の在地義務,複数の聖職禄保有の禁止,ミサのまつり方,聖人や聖遺物の崇敬,免償,神学校の設置による司祭の教育とその質的向上,司教会議の開催,司教の適性審査などに関する教令を採択した。また,〈禁書目録〉〈トリエント信仰告白〉〈ローマ教理問答〉〈ローマ・ミサ典書〉,グレゴリオ暦,教会法典などは,会議の意を体して教皇が会議後に定めたものである。この会議はもともとルターの改革にかかわらず開催される予定であった。しかしルターをきっかけに強化・統合されたカトリック改革の一環であるので,自発的改革の要素と反プロテスタント的防衛,反撃の要素とを含んでいる。第2次世界大戦後に至るまでローマ・カトリック教会の基本的容姿を決定したという点で,影響力がもっとも深く大きい会議であったといえよう。
→カトリック改革
執筆者:澤田 昭夫
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…カトリック改革は,ルターの出現以後,ルターに反対する反動としての反(対抗)宗教改革Counter‐Reformationという形をとったが,カトリック改革すなわち反宗教改革ではない。かつてはカトリック史家もプロテスタント史家も宗教改革ないし教会改革の時代を,ルターやカルバンの〈宗教改革〉とそれに対抗して起こった〈反(対抗)宗教改革〉(たとえばトリエント公会議)という二つの概念だけで説明し,カトリック改革という概念を用いても,それは反宗教改革と同義語として用いられてきた。最近の研究で明らかになったのは,カトリック改革すなわち反宗教改革ではないこと,カトリック改革には反対・反動という否定面と同時に,自発的肯定面があり,その根源はルター以前にまでさかのぼるということである。…
…14世紀のアビニョン捕囚と対立教皇間の大分裂(1378‐1417)は,教皇権への信用を失墜させたが,その解消に一役を買った公会議至上主義は,フェラーラ・フィレンツェ公会議(1438‐45)により破棄された。教皇権はその後,宗教改革者や啓蒙主義者からの攻撃もあって,トリエント公会議(1545‐63)と第1バチカン公会議(1869‐70)により組織的に明確にされ,その司教団との関係も,第2バチカン公会議(1962‐65)により,教皇はキリストの代理者として全教会の上に最高完全の権能を有し,それを単独で自由に行使することも,司教団の頭として司教団とともに行使することもできる(教会憲章22)という形で,補足説明された。教皇【青山 玄】。…
…日本伝道のザビエル,中国伝道のマテオ・リッチ,インド伝道のノビリRoberto de Nobili(1577‐1656)などが著名である。反宗教改革としていま一つ重要なのは,1545年12月に開かれて,63年12月まで3期にわたってつづいたトリエント公会議である。イエズス会は,これに多数の有名なメンバーを派遣した。…
…これに反し,平民の間では,一夫一婦制に基づく私生児の排除という社会的規範は,かなり強力に機能していたと見られる。とりわけ,ローマ・カトリック教会が,13世紀に,結婚を秘跡の一つと定めて監視の眼を光らせ,また16世紀半ばのトリエント公会議以降は,カトリック宗教改革の一連の動きの中で全面的に規律の徹底をはかったことから,私生児は差別の対象として厳しく排除されることとなった。とくに農村では,村の司祭や共同体の監視の眼は厳しく,フランスでは私生児の率は1%に満たない地方が多く,イギリスでも18世紀半ばまでは5%を超す例はまれであった。…
…特に国土統一のために宗教の純化を必要としたスペインは,すでに15世紀末,俗に宗教裁判として知られる異端審問制度を復活し,異端排除の意味から美術に対する監視態勢をも整えた。したがって,スペイン国王でもあった神聖ローマ皇帝カルロス5世の要請で開催され,プロテスタンティズムを異端としたトリエント公会議(1545‐63)が発布した教令(美術に対する教令をも含む)を最も歓迎したのがスペインであるのもふしぎでない。16世紀以降のスペイン美術では,カトリック教義を擁護する対抗宗教改革運動に即した美術が主流となり,その傾向はゴヤの時代,つまり教会と美術が決定的に分離する18世紀中葉まで続いたのである。…
…これが宗教改革前夜における西欧教会の典礼の状況だったのである。 宗教改革に抵抗して教会の中から起こった改革は,トリエント公会議(1562)で具体化され,その決定に基づいて各種の典礼書の規範版が発行された。しかしプロテスタントの行過ぎを警戒するあまり,その誤りを正すほうに主力が注がれ,正しい提案をとり上げて典礼の基本を正すまでには至らなかった。…
※「トリエント公会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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