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畠山重能 はたけやま しげよし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

畠山重能 はたけやま-しげよし

?-? 平安時代後期の武将。
畠山重忠の父。桓武(かんむ)平氏秩父(ちちぶ)重弘の子で,武蔵(むさし)畠山荘(埼玉県)を本拠とした。平治(へいじ)元年(1159)の平治の乱後,武蔵が平家の知行国となったため,その家人となる。源頼朝の東国挙兵の際は京都にいて,平氏の軍に属して畿内各地を転戦。平氏の都落ちにはしたがわず武蔵にもどった。通称は畠山庄司。

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朝日日本歴史人物事典の解説

畠山重能

生年:生没年不詳
平安後期の武将。関東平氏秩父氏の一流で,武蔵国男衾郡畠山郷(埼玉県川本町)を名字の地とする在地領主。父は秩父重弘,妻は三浦義明の娘。畠山庄司を名乗る。畠山氏の始祖。『源平盛衰記』によると,久寿2(1155)年,源義賢(源義仲の父)を養君とする叔父の重隆と,源義平(源頼朝の長兄)を擁立した祖母の実家児玉党とが衝突した武蔵大蔵合戦においては,義平に味方して重隆を攻め,幼少の義仲をかくまったといわれる。武蔵国司の平知盛の配下として活躍していたが,のち平家軍に属して畿内近国を転戦した。寿永2(1183)年の平家都落ちに際して,暇を賜り武蔵に帰った。

(海津一朗)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の畠山重能の言及

【畠山氏】より

…(1)平安末・鎌倉初期の関東豪族(図)。桓武平氏。秩父重弘の子重能(しげよし)が武蔵国畠山荘(埼玉県大里郡江南町付近)の荘官となって畠山氏をおこし,一時源義朝に属した。重能の子畠山重忠は,源頼朝の挙兵にあたり,平氏に味方したが,まもなく頼朝に帰順し,有力御家人となり,同国菅谷(比企郡嵐山町菅谷)に居館を構えた。しかし1205年(元久2)子重保が平賀朝雅と争ったことから,一族とともに北条時政に誘殺され,家が絶えた。…

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