コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

畢沅 ひつげん Bi Yuan

2件 の用語解説(畢沅の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

畢沅
ひつげん
Bi Yuan

[生]擁正8(1730)
[没]嘉慶2(1797)
中国,清の学者。字はじょうこう,秋帆。号はえん山 (えんざん) ,霊厳山人。鎮洋 (江蘇省) の人。乾隆 25 (1760) 年の進士首席合格者 (状元) で,官は湖広総督にいたった。学問的には,清儒の経典解釈や説文を奉じた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


ひつげん
(1730―1797)

中国、清(しん)朝中葉後期の学者、政治家。字(あざな)(じょうこう)、秋帆(しゅうはん)、号は霊巖(れいがん)山人。江蘇(こうそ)省鎮洋(ちんよう)県(太倉(たいそう))の人。若いとき経学を恵棟(けいとう)に、詩を沈徳潜(しんとくせん)に学ぶ。1760年(乾隆25)の進士。陝西按察使(せんせいあんさつし)、同巡撫(じゅんぶ)、河南巡撫、湖広総督などを歴任し、白蓮(びゃくれん)教徒の乱の鎮定にあたり、嘉慶(かけい)2年7月3日、辰州(湖南省)で卒(しゅっ)した。経学、小学、史学に通じ、任地の幕下に学者を招いて後進を育成したことで阮元(げんげん)と相似る。著に『伝経表』『釈名疏証(そしょう)』『続資治通鑑(しじつがん)』、各任地に応じての金石学の成果、関中・中州・山左の『金石志』、『夏小正』『山海経(せんがいきょう)』『墨子』『呂氏(りょし)春秋』などの校注があり、それらの著に恵棟の著『易漢学』などをあわせての精刻『経訓堂叢書(そうしょ)』がある。集は『霊巖山人詩集』。[近藤光男]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の畢沅の言及

【漢帝陵】より

…前漢の帝陵は文帝灞陵,宣帝社陵が西安の南方の丘陵にあるほか,他の9陵はすべて渭河北岸,咸陽の五陵原(5陵が陵邑をもつ)上にある。帝陵の比定は従来畢沅(1730‐97)の説によっていたが,近年実地調査と古文献との校定により,西から武帝茂陵,昭帝平陵,成帝延陵,平帝康陵,元帝渭陵,哀帝義陵,恵帝安陵,高祖長陵,景帝陽陵の順に改められた。漢の陵制は秦のそれを受け継ぎ,截頭方錐形の巨大な封土をもつ。…

※「畢沅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

畢沅の関連キーワード階乗偶数スターリングの補間公式リーマン幾何学エヌ没・歿勃・歿・没三角数Diaz de la Peña,N.

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone