畢沅
ひつげん
Bi Yuan
[生]擁正8(1730)
[没]嘉慶2(1797)
中国,清の学者。字はじょうこう,秋帆。号はえん山 (えんざん) ,霊厳山人。鎮洋 (江蘇省) の人。乾隆 25 (1760) 年の進士首席合格者 (状元) で,官は湖広総督にいたった。学問的には,清儒の経典解釈や説文を奉じた。古書の校勘にすぐれ,『伝経表』『経典弁正』など著書多数がある。
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典内の畢沅の言及
【漢帝陵】より
…前漢の帝陵は文帝灞陵,宣帝社陵が西安の南方の丘陵にあるほか,他の9陵はすべて渭河北岸,咸陽の五陵原(5陵が陵邑をもつ)上にある。帝陵の比定は従来畢沅(1730‐97)の説によっていたが,近年実地調査と古文献との校定により,西から武帝茂陵,昭帝平陵,成帝延陵,平帝康陵,元帝渭陵,哀帝義陵,恵帝安陵,高祖長陵,景帝陽陵の順に改められた。漢の陵制は秦のそれを受け継ぎ,截頭方錐形の巨大な封土をもつ。…
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