中国,清代中期の詩人,批評家。字は確士,号は帰愚。江蘇省蘇州の出身。早くから江南の名士であったが進士及第は66歳と遅い。しかしその後は着々と昇進を重ね,とくに乾隆帝前半期の詩友として20年余にわたる知遇を得,宮廷詩人の側から詩壇をリードし,民間の側にあった〈性霊説〉の袁枚(えんばい)と対抗した。ときあたかも清朝成立より100年,漢族知識人の満州王朝にたいする態度も,なにがしかの躊躇から積極的な協力へと転じつつあった。〈格調説〉とよばれるその詩論は,伝統的な格式と音調のもとに,詩が造化・施政・倫理との関係をたもつことを尊び,その温和な教育的効用を重んじた。明代の古文辞派の説をうけるものではあるが,古典の選択に対する態度はより寛容である。詩の実作はやや平板に堕するが,詩論書《説詩晬語(せつしさいご)》,および体系的な選評シリーズである《古詩源》と唐詩・明詩・清詩の各《別裁集》は,今日も広く利用されている。
執筆者:松村 昂
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、清(しん)代中期の詩人。字(あざな)は確士、号は帰愚(きぐ)。江蘇(こうそ)省蘇州長洲の出身。1739年(乾隆4)67歳で初めて進士に合格し、以後は帝の側近として順調に出世し、官は礼部侍郎に至り、97歳の天寿を全うした。幼少のころから唐詩を好み、とくに盛唐を尊重したが、歴代の詩に対しても温和公平の態度で臨んだ。詩の批評家・作者として著名であり、格調説を唱えて、性霊(せいれい)説の袁枚(えんばい)に対抗した。鈴木虎雄(とらお)はこれに温和的格調派の名称を与えている。思想的には厳格に儒教倫理を信奉し、明(みん)末の王次回のような艶体(えんたい)は退けている。また宋元(そうげん)の詩には厳しく、「宋詩は腐(ふ)に近く、元詩は繊(せん)に近し」と批判する。これらの文学的、思想的立場は、乾隆(けんりゅう)帝の信任を得るのに力があったと思われる。『古詩源』『唐・明・国朝詩別裁集』『沈帰愚詩文全集』のほか、『唐宋八家文読本』30巻があり、唐宋八大家の名文を精選したもので、日本でも流行した。
[佐藤一郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…清の沈徳潜(しんとくせん)が《唐詩別裁集》にひきつづき,1719年(康熙58)に編集した先秦から隋までの詩の総集。14巻。…
…浙江省の湖州の出身,あるいは徳清の人とも伝えられる。乾隆帝の側近として礼部侍郎に昇った沈徳潜の一族である。職業画工とみなされるが,経歴はわからない。…
…中国,唐宋の古文の名文集の書名。普通は清の乾隆期の詩文作家,沈徳潜(しんとくせん)の編集した《唐宋八家文読本》を指す。正しくは《唐宋八大家文読本》といい,全30巻から成る。…
※「沈徳潜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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