番賀郷(読み)はがごう

日本歴史地名大系 「番賀郷」の解説

番賀郷
はがごう

和名抄」高山寺本・東急本・元和古活字本のいずれも訓を欠く。郷名の初見は、平城宮出土木簡に「尾張国智多郡番賀郷花井里丸部(竜カ)麻呂」「調塩三斗 神亀四年 十月七日」とあるもので、この木簡は丸部竜麻呂が、調として塩三斗を中央へ貢進した際の荷に付けられた木札である。丸部はこの智多郡一円に濃密な分布が知られる。彼らは大化前代において、畿内の有力豪族ワニ氏の部民であったもので、番賀郷は古い段階から中央との結び付きが確認される地域である。また同じく平城宮出土木簡に「番(賀カ)郷和尓部古万呂」と記すものがあり、これも当郷のものと推測される。

郷域について、「大日本地名辞書」は現東海市南部から知多市北部にかけての一帯にあてる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む