日本歴史地名大系 「疋壇城跡」の解説 疋壇城跡ひきたじようあと 福井県:敦賀市疋田村疋壇城跡[現在地名]敦賀市疋田塩山(えんやま)にあった中世後期の城。塩山城ともいう。現在は田畠になっているが、一部石塁・塹壕などの遺構が残る。県指定史跡。疋田(ひきた)は近江・越前を結ぶ三ルート(西近江路・塩津道・刀根越)の集合点をなし、軍事的にも重要な位置を占めた。当城は文明(一四六九―八七)頃、近江方面からの進攻に備える越前の最南端の守りとして、戦国大名朝倉氏が家臣の疋壇対馬守久保に築かせた(幻雲文集)。疋壇氏は越前権介、越前国惣追捕使藤原為頼(匹田斎藤と称した)の系譜を引くという武士。疋田久保は西福(さいふく)寺へ宛てた文明一一年一二月一二日付の疋壇久保安堵状(西福寺文書)が残るので実在が確認される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報