20世紀日本人名事典 「登原久美子」の解説 登原 久美子トハラ クミコ 昭和期のサロン経営者 戦後政界の「女黒幕」。 生年明治28(1895)年 没年昭和59(1984)年3月22日 出生地東京都墨田区 経歴東京・向島の蓮華寺の住職の娘として生まれた。大正5年、東大の学生で、後に三菱重工業の重役となった登原剛三と結婚したが、夫は長崎の原爆の放射能を浴び死別。戦後一人になって、広大な永田町の自邸宅を外務省に貸し、「終戦連絡事務局分室」(のちに千代田クラブと改称)の看板をかかげ、知名な政官界人らに憩いの場所を提供。次第に政界の大物との親交を深めていったが、汚職事件にまきこまれ、千代田クラブを手放した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「登原久美子」の解説 登原久美子 とはら-くみこ 1895-1984 昭和時代後期のサロン経営者。明治28年生まれ。長崎の原爆で三菱重工業重役だった夫の登原剛三と死別。戦後,東京永田町の自邸を外務省にかし「終戦連絡事務局分室」(のちの千代田クラブ)の名で政官界人のサロンの場を提供,政界の「女黒幕」といわれた。昭和59年3月22日死去。89歳。東京出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by