白井小助(読み)しらい・こすけ

朝日日本歴史人物事典 「白井小助」の解説

白井小助

没年:明治35.6.18(1902)
生年:文政9.7.24(1826.8.27)
幕末の長州(萩)藩の志士。名は素行。号は飯山。小助は通称で小介とも称す。長州藩重臣浦靭負の家臣白井弥蔵の子として萩に生まれる。嘉永6(1853)年江戸に行き,佐久間象山らに学ぶ。翌年吉田松陰の下獄に際して金品を贈るが,その金策のために売ったのは父からもらった刀であった。「刀は二本もいらない,鉄砲が一丁あれば十分」と笑ったという。文久3(1863)年奇兵隊の参謀となり,元治1(1864)年,四国艦隊下関砲撃戦に従軍。慶応1(1865)第二奇兵隊を組織して軍監となり,翌年大島口の戦を指揮。明治1(1868)年の戊辰戦争では北越に戦った。凱旋後は仕官せず,熊毛郡平生宇佐木に住んで子弟の教育に当たった。狷介奇行をもって知られた。

(三宅紹宣)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「白井小助」の解説

白井小助 しらい-こすけ

1826-1902 幕末の武士
文政9年7月24日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。佐久間象山,安積艮斎(あさか-ごんさい)らにまなぶ。品川のイギリス公使館焼き討ち,下関の外国船砲撃などに参加。のち第二奇兵隊の参謀となり,各地を転戦した。明治35年6月18日死去。77歳。名は素行。号は飯山,樗亭。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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