白人村
ちろつとむら
[現在地名]中川郡幕別町字豊岡・字千住・字日新
明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治三九年(一九〇六)まで存続した中川郡の村。咾別村・幕別村の西にあり、北は十勝川を境として河東郡音更村。十勝川右岸は低地帯で白人原野として殖民地に撰定され、それより南方は途別川と茂発谷川に挟まれた標高一五〇メートル前後の丘陵をなす。南部は下イタラタラキ原野に連なる。近世はトカチ場所のうち。明治初年チロトなどの地を包含して成立。同四年の駿河静岡藩支配下での戸口はアイヌ六戸・四〇人、うち男一八・女二二(蝦夷の灯)。「十勝国地誌提要」にはチロト村とあり、同六年のアイヌの戸口は一〇戸・五三人(男二七・女二六)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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