日本歴史地名大系 「白国村」の解説
白国村
しらくにむら
中世から白国の名がみえる。弘安四年(一二八一)八月一六日の広峯家長所職等譲状(神戸大学国際教養系図書館蔵広峯神社文書)によると、「白国村」の明神前(白国神社の社前)や堂垣内などの畠七段などが嫡子長祐に譲られている。正応二年(一二八九)五月日の僧快円・源有家連署父母遺領等配分状案(八坂神社文書)に、快円分として「平野・白国両所屋々敷畠」がみえる。貞和五年(一三四九)六月二五日、「平野北条白国村広峯東坂本」の山と畠が広峯社に寄進されており、当村は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報