広瀬惟然(読み)ひろせいぜん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

広瀬惟然
ひろせいぜん

[生]? 美濃,関
[没]正徳1(1711).関
江戸時代中期の俳人。 60歳余まで在世。本名,源之丞。別号,素牛,鳥落人,湖南人,梅花仏。天真爛漫な性格で,晩年芭蕉に愛された。口語調の軽妙洒脱な句風編著『藤の実』 (1694) ,『二葉 (じよう) 集』 (1702~03) など。

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デジタル大辞泉の解説

ひろせ‐いぜん〔‐ヰゼン〕【広瀬惟然】

[?~1711]江戸前期の俳人。美濃の人。通称、源之丞。別号、素牛・鳥落人など。芭蕉門人。師の没後、諸国を放浪。新奇軽妙な句風で口語調も試み、一茶らの先駆とされる。編著「藤の実」「二葉集」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

広瀬惟然 ひろせ-いぜん

?-1711 江戸時代前期-中期の俳人。
元禄(げんろく)元年松尾芭蕉(ばしょう)に入門し,晩年の芭蕉に随従した。各地を旅し,口語調,無季語の句作をこころみた。晩年は郷里の弁慶庵に隠棲(いんせい)。宝永8年2月9日死去。享年は六十余歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。通称は源之丞。別号に素牛,鳥落人,湖南人など。句集に「藤の実」など。
【格言など】水鳥やむかうの岸へつういつい(「惟然坊句集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

広瀬惟然

没年:正徳1.2.9(1711.3.27)
生年:生年不詳
江戸前期の俳人。美濃国(岐阜県)関の生まれ。生家は富裕な商家であったが,若くして財を失って諸国を放浪した。松尾芭蕉に入門したころは温雅な叙景句を作っていたが,元禄7(1694)年の芭蕉没後「きりぎりすさあとらまへたはやとんだ」のような極端な口語調の句を作るようになり,同門の森川許六から俳諧の賊と罵られている。晩年芭蕉の句を和讃に仕立てて風羅念仏と称し,これを唱えながら諸国を乞食同然の姿で行脚した。彼を偶然見かけた娘が,涙を流して袖に取りすがったところ,どこへともなく走り去ったという話が『近世畸人伝』に載っている。<参考文献>鈴木重雅『俳人惟然の研究』

(田中善信)

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大辞林 第三版の解説

ひろせいぜん【広瀬惟然】

?~1711) 江戸中期の俳人。通称源之丞。別号素牛・風羅堂など。美濃の生まれ。芭蕉の門人。師の没後西国各地を行脚した。俳風は軽妙洒脱で、一茶の口語調に影響を及ぼした。編著「藤の実」など。

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世界大百科事典内の広瀬惟然の言及

【惟然】より

…江戸前期の俳人。姓は広瀬,通称は源之丞。初号は素牛。別号に鳥落人。美濃国関の人。1688年(元禄1)芭蕉に入門。芭蕉に近侍することが多かったが,師の没後,九州,奥羽,北陸等を行脚,蕉風を広める上に功績があった。擬声語を用いた口語調の軽妙な句を特徴とし,風羅念仏なるものを創始した。編著は《藤の実》(1694),《二葉集(じようしゆう)》(1702)等。〈水鳥やむかふの岸へつういつい〉(《惟然坊句集》)。…

※「広瀬惟然」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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