射楯兵主神社(読み)いたてひょうずじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「射楯兵主神社」の意味・読み・例文・類語

いたてひょうず‐じんじゃ いたてヒャウズ‥【射楯兵主神社】

兵庫県姫路市総社本町にある神社。旧県社。祭神射楯神、兵主神ほか。養和元年(一一八一)一六郡一七四座の神を合祀して、播磨国総社・府中社として知られる。延喜式内社

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日本歴史地名大系 「射楯兵主神社」の解説

射楯兵主神社
いたてひようずじんじや

[現在地名]姫路市総社本町

姫路城の南の市街地に位置する。祭神は射楯大神・兵主大神。旧県社。「播磨国惣社」「総社」などと通称される。「延喜式」神名帳に載る餝磨しかま郡射楯兵主神社(二座)に比定される。「播磨国風土記」餝磨郡因達いたち里の条に、神功皇后の韓国平定の際に船を先導した伊太代神が「此処に在す」とある。社伝によれば兵主神は欽明天皇二五年飾磨郡伊和いわ里水尾山に祀られていたのを、延暦六年(七八七)坂上田村麻呂勅命により国衙の小野江の梛本おのえのなぎもとに移し、のちに射楯大神を合祀して射楯兵主神社と称したという。養和元年(一一八一)に国内一六郡の大小明神一七四座を境内に合祀し播磨国惣社と称された。軍旅守護神として武門の崇敬厚く、鎌倉期の最盛期には社家は三六家に及び、一千余町の神領を有して軍八頭正一位総社伊和大明神の称号を与えられたという。

嘉吉元年(一四四一)八月一日赤松満祐は神前の生の松原で天神地祇祭を行った(「惣社集日記」智恵袋)。幕府の討伐軍を迎え撃つべく武運長久を祈ったのであろう(旧版「姫路市史」)。永正三年(一五〇六)一一月一二日には赤松政村が「播州飾東郡国衙惣社」の銘がある銅鐘を寄進している。大永元年(一五二一、永正一八年か)六月卯日三ッ山祭が盛大に執行され(惣社集日記)、同年七月卯日には政村の命により社前で宿しゆく村・国府寺こうでら村・なか村・北条ほうじよう村・南条なんじよう村・農年のうねん(南畝)村・山井やまのい(山野井)村・八代やしろ村・野里のざと村・庄田しようだ村・津田(津田)村・福中ふくなか村の村民三九七人が、刀・松明・杖・斧・鎌・鎗・長刀を持って七日間神踊を踊っている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「射楯兵主神社」の意味・わかりやすい解説

射楯兵主神社
いたてひょうずじんじゃ

兵庫県姫路(ひめじ)市総社本町(そうじゃほんまち)に鎮座。射楯大神(いたてのおおかみ)、兵主大神(ひょうずのおおかみ)と播磨(はりま)国大小明神174座を祀(まつ)る。787年(延暦6)勅命により、古くから祀られていた兵主大神を小野江に遷座、のち射楯大神を合祀(ごうし)した。さらに1181年(養和1)播磨国の16郡の名高い神を合祀して、総社と称した。旧県社。例祭は11月13~16日。特殊神事として、61年目ごとに行われる「一ツ山大祭」、21年目ごとの「三ツ山大祭」は有名。これは、境内に木で「やま」をつくり、五色絹を巻き、造り物をつけて祀る神事で、神社保存の模型「三ツ山雛型(ひながた)」は国の重要有形民俗文化財に指定されている。定利銘太刀(たち)は国の重要文化財。

[寳來正彦]


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