精選版 日本国語大辞典 「在原業平」の意味・読み・例文・類語
ありわら‐の‐なりひら【在原業平】
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平安前期の歌人。平城(へいぜい)天皇皇子阿保(あぼ)親王の五男。母は桓武(かんむ)天皇皇女伊登(伊都)(いと)内親王。在原氏の五男の意で在五(ざいご)中将、在中将ともよばれる。826年(天長3)兄の仲平、行平、守平らとともに在原朝臣(あそん)姓を賜って臣籍となる。おもな経歴は、845年(承和12)左近衛将監(さこんえのしょうげん)、847年蔵人(くろうど)、863年(貞観5)左兵衛権佐(さひょうえのごんのすけ)、864年左近衛権少将、865年右馬頭(うまのかみ)、872年鴻臚館(こうろかん)に遣わされて渤海使(ぼっかいし)の慰問にあたる。875年右近衛権中将、879年蔵人頭(とう)となる。880年(元慶4)5月28日、従(じゅ)四位上右近衛権中将兼美濃権守(みののごんのかみ)として没した。業平の死を記す『三代実録』の卒伝に「体貌閑麗、放縦不拘、略無才学、善作倭歌」と評されるように、美貌(びぼう)の皇孫でありながら自由奔放な情熱に生き、官僚の教養としての漢文学よりも私的な恋情などを詠む和歌に秀でた人物とみられた。
このイメージはしだいに伝説化され、業平は反政治的世界において純愛一途に生きる色好みの理想像として、彼をめぐる多彩な恋愛譚(たん)を生むことになった。彼の死後二十数年に成った『古今和歌集』には30首の多くがとられたが、ほかの歌人の場合とは明らかに異なって長大な詞書(ことばがき)をもつものが目だつ。虚像化された業平を主人公とする『伊勢(いせ)物語』との密接な関係が予想されよう。『古今集』仮名序では業平は六歌仙の随一の歌人として仰がれ、「その心余りて詞たらず。しぼめる花の色なくて匂(にほ)ひ残れるがごとし」と、情感のあふれる歌風を評された。『伊勢物語』『古今集』によって形成される業平像の事蹟(じせき)や和歌として有名なものをあげると、関白藤原基経(もとつね)の妹で清和(せいわ)天皇女御(にょうご)になった二条后高子(にじょうのきさきたかいこ)との障害の多い恋愛関係を示す「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして」、望郷の念のつきまとうわびしい東下(あずまくだ)りの「からごろも着つつなれにしつましあればはるばる来(き)ぬる旅をしぞ思ふ」、伊勢斎宮(いせのさいくう)との夢幻のごとき禁じられた恋、文徳(もんとく)天皇第1皇子惟喬(これたか)親王の不運への同情と親密関係を示す「忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみ分けて君を見むとは」などがある。これらが実際の事実かどうかは疑問があるが、「放縦にして拘(かか)はらず」と評された実在の業平の資性と行動、「善く倭歌(わか)を作る」と評された和歌の哀艶(あいえん)な調べ、その両面にわたる情的性格の発露がおのずから生み出したものであろう。『伊勢物語』のさらに何次かに及ぶ成長は、「昔男」の像をいっそう生成させ、後世へと展開させてゆくことになる。勅撰(ちょくせん)集入集歌は88首。家集に『業平集』があり、『伊勢物語』の成立と関連が深い。
[藤岡忠美]
『目崎徳衛著『平安文化史論』(1968・桜楓社)』▽『目崎徳衛著『日本詩人選6 在原業平・小野小町』(1970・筑摩書房)』▽『片桐洋一著『在原業平・小野小町――天才作家の虚像と実像』(1991・新典社)』
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(山本登朗)
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825~880.5.28
平安前期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の1人。平城(へいぜい)天皇の皇子阿保(あぼ)親王の子。母は桓武天皇の皇女伊都(いと)内親王。五男で右近衛権中将なので在五(ざいご)中将とよばれた。行平(ゆきひら)は兄,子に棟梁(むねはり)・滋春(しげはる)ら。826年(天長3)在原の姓を賜った。「三代実録」の伝に「体貌閑麗(たいぼうかんれい),放縦(ほうしょう)にして拘(かかわ)らず,略(ほぼ)才学無く,善く倭歌(わか)を作る」とあり,美男で気まま,学才はないが,和歌を得意としたという。「古今集」仮名序に「在原業平は,その心あまりてことばたらず」と評されたように,情熱あふれる秀歌が多く,技法的にも古今歌風の先駆をなす。「古今集」に30首入集。「伊勢物語」は業平の歌に物語を付したもので,主人公を業平と同一視する後世の見方は誤りである。家集「業平集」。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…書名の由来も,伊勢(伊勢御(いせのご))の筆作にかかること,〈伊勢〉は〈えせ(似而非)〉に通ずること,巻頭に伊勢斎宮の記事があること,などをそれぞれ根拠に挙げる諸説があったが,なお不明である。作者も上の伊勢の説のほか,在原業平自記説もあり,紀貫之説も近年有力となりつつあるが,これまた特定は困難であろう。内容は諸本により若干の増減があるが,通行の天福本で全125段から成る。…
…旅の僧(ワキ)が大和初瀬(はつせ)の在原寺(ありわらでら)を訪れると,若い女が来て荒れた古塚に水を手向ける。女は僧にこれが在原業平の墓だと教え,業平と井筒の女の恋物語を話して聞かせるが(〈クセ〉),やがて自分はその女の霊だと名を明かして,かたわらの井筒の陰に姿を消す。夜がふけると,女は業平の形見の装束を身に着けてふたたび現れ,舞を舞い(〈序ノ舞〉),井戸にわが姿を映して夫の面影をしのびなどするが(〈ノリ地〉),夜明けとともに消えていく。…
…小町の名についても,宮中の局町に住んだことによるという説をはじめ諸説がある。王朝女流歌人の先駆者で,文屋康秀,凡河内躬恒,在原業平,安倍清行,小野貞樹,僧正遍昭らと歌の贈答をし,和歌の宮廷文学としての復興に参加した。その歌は恋の歌が多く,情熱的で奔放な中にも,現実を回避した夢幻的な性格をもち,哀調を帯びている。…
…彼女は東国から奥州へと流浪の旅を重ね,玉造の小野にたどりつき,草原の中で死ぬ。在原業平が歌枕の跡を訪ねて玉造の小野まで来ると,吹く風とともに,〈暮れごとに秋風吹けば朝な朝な〉という歌の上の句が聞こえてくる。業平が下の句を〈をのれとは言はじ薄(すすき)の一むら〉と付けると,美しい女房が忽然と現れる。…
…しかしまた,《大鏡》裏書には文徳天皇が晩年惟喬を愛して皇太子にと希望していたが,周囲の反対をはばかって断念したと伝えており,この種の伝承の発生する根はあったかもしれない。惟喬は隠棲後は風流を楽しんだらしく,僧正遍照に贈った歌が《古今集》に見えるが,とくに在原業平とは,業平の妻が紀有常の娘で親王のいとこであったから,年齢は業平が19歳年長だったが,親密な主従関係を結んでいた。《伊勢物語》82段(渚の院),同83段(雪の小野詣)は有名である。…
…例えば,竹林にさらされて目の穴にたけのこが生えていたどくろが目の痛みを訴え,たけのこを抜いた男に恩返しをした話や,山で《法華経》を読むどくろに舌が腐らず残っていた話が《日本霊異記》にあるし,物語《二人比丘尼(びくに)》には骸骨姿のどくろの宴が描かれている。風流な例では,眼窩(がんか)からススキの生え出たどくろが〈秋風の吹き散るごとにあなめあなめ〉と上の句を詠み,これを小野小町のどくろと知った在原業平が〈小野とは言はじ薄(すすき)生ひけり〉と下の句をつけた話があり(《古事談》。似た話は《無名草子》にもある),理屈っぽい例には,荘子が枕にしたどくろが夢に現れ死の世界について問答した話(《荘子》至楽篇)などがある。…
…現伽藍地は旧平城右京一条四坊の一・二坪に相当する。寺伝によれば,正式には不退転法輪寺と称し,847年(承和14)在原業平が,平城天皇の〈萱の御所〉跡に創建したという。《三代実録》貞観2年(860)10月の条に,平城旧京の水田55町余を不退・超昇両寺に施入したとあるのが初見である。…
…中世では本鳥切とも書いた。《古事談》に,在原業平が二条后を盗み去ろうとして奪い返されたうえに,髻を切られたことが見え,《源平盛衰記》に,平重盛が息子が辱められた意趣返しに,兵をもって摂政藤原基房の車を襲い,基房随従の数人の髻を切ったことが見えるなど,中世の犯罪史にもしばしば現れる特異な犯罪である。烏帽子(えぼし)をもって社会的身分を表す最も有力な外的表徴とした時代にあって,結髪および烏帽子の装着に必須な髻を切断することは,被害者の社会生活を麻痺させるばかりでなく,その人の体面を失わせる凌辱的行為とみなされ,その意味で,女性の髪を切り落とす暴行に比すべき犯罪であったが,これに加えて次の2点が,この犯罪をより特異かつ重大なものとしたと考えられる。…
…《万葉集》の後,和歌の道はまったくおとろえていたが,その時期に〈いにしへの事をも歌をも知れる人,よむ人多からず。……近き世にその名きこえたる人〉としてあげられた僧正遍昭,在原業平,文屋康秀,喜撰法師,小野小町,大友黒主,の6人のこと。序の筆者紀貫之より1世代前の人々で《古今集》前夜の代表的歌人として《古今集》時代の和歌の隆盛を導いた先駆者たちである。…
※「在原業平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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