日本歴史地名大系 「随願寺」の解説
随願寺
ずいがんじ
〔草創から鎌倉期〕
乾元元年(一三〇二)一一月の撰述という播州増位山随願寺集記(随願寺蔵)によれば、仏舎利飛来の霊山(場所は不詳)に厩戸皇子(聖徳太子)が堂宇を建立、高麗僧慧便が止住し、天平年中(七二九―七四九)行基が諸堂を建立したという。もとは法相宗であったが、天長一〇年(八三三)仁明天皇の勅を受け王法繁栄・国家豊饒を祈る最勝会・吉祥天法が天台宗の僧によって行われ、天台宗に転じた。この時、法華三昧堂・常行三昧堂・食堂などを建立、金堂・講堂などが修造され、伊勢・山王・白山など七神三〇社が勧請された。嘉承二年(八四九)毘沙門天堂が造営され、延暦寺の円仁によって供養が行われ、随願寺の寺号額と
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報